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告げる言葉もなく~はじめに~

【あらすじ】

実直な内科医・石黒と、美形だが性格がきつい外科医・水原は、ことあるごとに衝突していた。
大学時代から十七年間、それは変わることなく続くように思えたが、石黒の外来に重い心臓病を患った少女が訪れれたことがきっかけで、二人の関係に少しずつ変化が起こっていく。
ところがある日、大規模な事故が発生し応援にかけつけた石黒の元に、少女の容態が急変したとの知らせが入り……。

中編。
内科医×外科医。
シリアステイスト。

全17話 完結

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2014年10月26日(Sun) | 告げる言葉もなく | TB(-) | CM(0)

告げる言葉もなく・1

 世の中にはどうしても相容れない人間というものが存在する。
 学生時代なら気の合う連中とだけつるんでいればいい。けれど社会人ともなると、そうはいかない。仕事をしていく上で、どんなに嫌っている人間とも口をきかなくてはならない状況がある。
 石黒真次は今まさに、その状況に置かれていた。
「少しは患者さんの気持ちを考えたらどうだっ?」
 二人きりになったカンファレンスルームで、石黒は我慢できずに大声を張り上げた。
「あんな説明じゃあ、ご本人も納得できないだろう! 何のためにこれがあると思ってるんだっ」
 机に広げられた説明用の資料を、涼しい顔をしている男に突きつける。
「僕に全て任せると言ったんだ。ご本人もご家族も、ちゃんと納得されていた」
「それはお前が専門用語ばかり並べ立てて、口を挟む機会すら与えなかったからだろうっ。あんな態度取られたら誰だって頷くしかないじゃないか」
 眼前に翳された手術資料を片手で避けると、男は細い眉をクッと眇めた。これは機嫌を損ねた時の彼の癖だ。
「だから、最後にちゃんと言っただろう。わからないことがあったら、いつでもいいから声をかけてくれって」
「ああ、確かにお前はそう言ったな。でも、その後に何て言ったか覚えてるか?」
 パイプイスの背もたれに身をあずけ、腕組をしている男に詰め寄る。うっとうしいと言わんばかりに目すら合わそうとしないその太々しい態度に、石黒の怒りはなおさら増していく。
 男のくせに綺麗に整った顔をしているから、わずかな表情の変化がよけいバカにされたように感じてしまうのだ。
「覚えてるさ。『僕は忙しいから、質問は石黒先生に』って言った。それがどうかしたか?」
「それが問題だと言ってるんだ! 執刀医はお前だろう。俺に振るんじゃない! 無責任にもほどがあるぞ!」
 男は二重の切れ長な瞳でちらりと石黒を一瞥すると、無言で席を立った。憤慨する石黒の横をすり抜けカンファレンスルームを出て行こうとする。石黒は後ろからとっさに彼の手首を掴んで引き止めた。
「まだ話は終ってない」
「君と違って僕は忙しいんだ。ここで君と無駄話をしている時間はない。失礼する」
「おい、水原っ」
 制止を無視し、軽やかな身のこなしで手首の拘束を解くと、白衣を翻して男は部屋を出て行った。
 パタンと閉まるドアの向こうで遠ざかる足音が聞こえる。一人取り残された石黒は、やり場を失った怒りを堪えるため拳を震わせた。



 石黒は今年で三十五歳になる、循環器内科医だ。都内の大学病院に籍を置いている。日々の業務に加え、学会に発表する論文も書かなければいけないことから、石黒は多忙な生活を送っていた。
 むろん遊びに行く暇などない。飲みに行く機会もめっきり減って、必然的に女性と知り合う機会も少なくなり、妻どころかここ数年は恋人さえいない。
 職場にはたくさん女性スタッフがいるのだが、仕事とプライベートを分ける主義のため、女医や看護師は恋愛対象からはずしている。
 寂しい独り身だからといって、石黒はもてないわけではない。
 学生時代は空手部に所属し、主将まで務めていた石黒の身体には今でも程よい筋肉がつき、身長も百八十センチと長身だ。精悍な男らしい容貌をしているが、笑うと口元にえくぼが出来る。それが全体の雰囲気を柔和なものにして、爽やかなスポーツマンといった印象を周囲に与えていた。
 勤務態度は極めて真面目。
 少々、熱血すぎるところもあるが、患者を第一に考えた治療方針と誠実な人柄から信頼も厚かった。
 およそ悩みなどないように見えるが、そんな石黒にも天敵といえる人物がいる。
 そう、循環器外科の水原彰人だ。
「水原!」
 今日も病院内をあちこち探し回り、裏庭で昼食を摂っていた水原をやっとの思いで見つけ出した。
「患者さんとのムンテラ、十三時の予定だろう。もう一時間も過ぎてるぞ!」
 患者や家族に病状を伝え、今後の治療方針を話し合うムンテラは、担当医と患者が直接意見を交換しあえる大事な場だ。治療を行う上で、互いの意思に行き違いがないようにするためにも欠かせない。
 そのムンテラに、水原は一時間も遅刻している。
 今日の患者は元々石黒が担当していたのだが、手術が必要になったため外科に移り、水原が執刀する予定になっていた。水原の説明が一方的で患者に口を挟む余地を与えないほどひどいものだと知っている石黒は、元主治医としてムンテラに同席を申し出たのだ。
 もちろん石黒も患者も約束の時間通りにカンファレンスルームに集まり、水原の到着を待っていた。しかし十分経っても二十分経っても肝心の執刀医が現れない。
 初めは大人しく待っていた患者の顔色も、時間が過ぎるにつれだんだんと不安なものになっていく。心臓の手術を控え、ただでさえナーバスになっているところに、執刀医の遅刻は患者に不信感を植え付ける。そんな患者が気の毒すぎて、石黒は水原を探しに席を立ったのだ。


        ――――続――――


2014年10月26日(Sun) | 告げる言葉もなく | TB(-) | CM(0)

告げる言葉もなく・2

 そうしてようやく探し出した男は、息を切らしながら話す石黒をチラリと見やり、そのまま何事もなかったかのようにパンにかじり付いた。
 謝罪の言葉もなければ、反省する様子もない。
 石黒の額に青筋が浮かぶ。
「のんきに昼飯食ってないで、とっとと行くぞっ」
 腕を掴んでベンチから強引に立たせる。
 しかし、あろうことか水原はその手を乱暴に振り払った。
「食べ終わるまで待てないのか。たかがムンテラだろう、もう少し待たせとけ」
 再び腰を下ろすと、石黒の存在を無視して食事を再開した。
 あまりにも自分勝手な言い草に呆気にとられてしまう。
 ――いったい何様のつもりだ!
 沸々と怒りが込み上げてくる。
「患者さんを待たせておいてよくメシが食えるな。いい加減にしろ!」
 堪忍袋の緒が切れて、正面で仁王立ちになって怒鳴りつける。けれど水原は全く気にせず、パンを食べ続けていた。
「水原!」
 怒りが最高潮に達し、石黒はパンを奪い取ると、そのまま地面に叩きつけた。
 水原の視線が、やっとこちらに向く。
 下からジロリと睨みつけてくる顔は、石黒とはまた違った迫力を醸し出している。石黒の怒りを火山とすると、彼のそれは氷のような鋭さを持っていた。
 石黒はその視線にも怯まず、男の腕を掴み立ち上がらせる。
「行くぞ」
 不本意そうに唇を引き結ぶ水原を引きずるようにして歩き出す。
 今度はしぶしぶながらも着いてきたが、纏う空気はとても剣呑だった。
 この仕事をしていれば、食事が摂れないことなどざらにある。
 パン一つでなにもそこまで不機嫌になることはないだろうと、隣に並んだ男の顔を窺う。
 水原は、とても綺麗な男だ。
 中性的な顔立ちに、細身の身体。白衣を着ていてもスタイルの良さが際立っている。黙って立っていれば役者のようなのに、水原は致命的に性格が悪かった。
 無愛想で無神経な口の利き方は何度注意しても直らない。いや、直そうとしない。なんの因果か、二人は大学時代からの同窓であるため、十八歳の時から水原を知っているが、彼は全くその時と変わっていない。
 昔から人当たりがきつく、毒舌だった。そして、顔だけは飛びぬけて綺麗だったのだ。
 確か水原も独身だったと記憶している。こんなに性格が悪いのに、見た目が良いためか女性との噂は絶えず耳にする。けれど、どの女性とも長続きせず、すぐにまた別の女性との噂が聞こえてくる。
 そんなところも学生時代と変わらない。
「なんだ?」
 視線に気づいたのか水原が訝しげに声をかけてきた。
 露骨にならない程度に目を逸らしながら、石黒は「別に」と答える。
 それきり二人の間に会話はなく、黙って患者の待つカンファレンスルームに向かって歩く。
 ――はっきり言って、水原は嫌いだ。
 スタッフへの愛想がないのは我慢するとしても、患者への対応の悪さが目に付く。
 本当なら、一緒に組んで仕事をしたくない。自分の担当する患者を水原に任せたくはなかった。
 それでも彼に手術の依頼をするのは、ひとえに彼の腕が誰よりも良いから。
 天は彼に類まれなる容姿の他に、天才的な手術の腕も与えたようだ。
 ――最悪だ。
 石黒は隣の男に気づかれないように、こっそりため息をついた。
 これで腕が悪かったら、あざ笑ってやれるのに。なまじ腕が良いから、水原を認めざるをえない。
 美形なのだから、もう少し愛想よくすればいいのに、と思う。そうすれば自分もここまで怒ることはないだろう。
 せっかく恵まれた容姿をしているのだから、それを仕事にも最大限活用してくれないかと切に願った。


           ――――続――――


2014年10月26日(Sun) | 告げる言葉もなく | TB(-) | CM(0)

告げる言葉もなく・3


「次の患者さんを呼んでください」
 机の端に築かれた山のてっぺんにあるカルテを引き寄せながら、石黒は外来看護師に声をかけた。
 看護師が患者を呼びに行っている間に厚みのないまっさらなカルテをめくる。真ん中に個人病院からの紹介状が挟まっており、封筒を開けて内容を確認していると、診察室のドアが開き小柄な少女が姿を現した。
「よろしくお願いします」
 少女は腰を折って深々とお辞儀をする。
 紹介状によると、少女はまだ十六歳。若いのに丁寧にあいさつをする姿に好感を覚えた。
「心臓内科医の石黒です。どうぞおかけください」
 少女にイスを勧め、改めて正面から対峙する。
「失礼します」と断って腰を降ろした少女の顔を見て、石黒は思わず息を呑んだ。
 色が白く肩までのストレートの髪は楚々とした印象を見る者に与え、長い睫毛に縁取られた大きな瞳が意思の強さを表している。初夏を感じさせる淡いブルーのワンピースは決して華美ではないが、シンプルな服装であるが故に少女の生まれ持った美しさを際ださせていた。
 石黒は無意識に紹介状と少女を交互に見やる。
 少女は重度の心臓病を患っていた。
 近くのクリニックでフォローしてもらっていたようだが、最近病状が悪化し、充分な設備のないクリニックでは対応しきれなくなりこの大学病院に回されたようだ。
 紹介状を読み進めるにつれ、石黒の表情は険しくなっていく。
 一緒に過去三ヶ月分の検査データも添付されていたが、心臓の機能を示すBNP値も四桁近くまで上昇していた。
 彼女がどこまで病気のことを理解しているかもわからない状態で不用意な発言は出来ない。先に家族と話をする必要があるなと考えていると、少女がまるで石黒の心を読んだかのように口を開いた。
「先生、私、ちゃんとわかってます。大丈夫です。がんばります」
 そう言うとにっこり微笑んだ。
 その毅然とした態度に、安心するよりもますますやりきれない気持ちがつのる。
 ――この子はまだ高校生だ。
 やりたいこともいっぱいあるだろう。
 同年代の女の子たちは友達と遊んだり、彼氏とデートしたりと忙しくも楽しい毎日を送っているだろうに、この子は重い病と闘っているのだ。将来に希望を持って生きる友達を目にし、どんなに複雑な思いをしただろう。
 そんな少女の心中を推し量ると、初対面の石黒の胸も痛んだ。
 内科は他の科に比べて患者の年齢層が高い。これまで受け持ったどの患者よりも彼女は若かった。けれど若いながらも自分の病気を理解し受け入れ、前向きに治療に取り組もうとしている。
 彼女のためにも、医師の自分がしっかりしないといけないと思った。
 石黒は表情を引き締め、少女に向き直る。
「千歳さん、これから一緒に頑張りましょう」
 あえて苗字ではなく下の名前で呼んだ石黒に、少女は花がほころぶように微笑むと、しっかりと頷きを返す。
 それは見る者の心を洗い流すような、綺麗な笑顔だった。

 その後、いくつかの検査を行った結果、千歳は緊急入院となった。
 検査の結果はどれもかんばしくなく、今こうして自分で歩けることが不思議なくらいの状態だったのだ。
 本人は何も言わないが、少し動くだけで心臓に負担がかかり、息苦しさを感じているはずだ。
 石黒はすぐに内科病棟へ入院の手続きをとった。
 千歳は入院の旨を告げられても特に取り乱した様子もなく、すんなり了承してくれた。年齢以上にしっかりした子だ。先天的な心臓疾患で、小さい頃から入退院を繰り返していたようだから病院に慣れているのかもしれない。
「これから病棟へ案内しますが、ご家族の方は?」
 千歳が検査に行っている間に確かめたが、待合室にも千歳の家族らしき人物は見当たらなかった。いくら病院に慣れていても、高校生の女の子が付き添いもなく一人で大学病院を訪れるとは考えにくい。
 どこかで時間をつぶしているのかと思い尋ねたのだが、千歳はしばらく考えた後で言いづらそうに口を開いた。
「……兄がいるのですが、仕事中みたいですね。一応、今日ここに受診に来ることは伝えてあるので、仕事が落ち着いたら来ると思います」
 そう言う横顔が少し寂しそうに見えた。
 石黒はあえてそれを指摘せず、「じゃあ、先に病室に行きましょう」と笑顔で言いながらも、彼女の兄に不信感を覚える。
 重い心臓病を患った妹を一人で病院に行かせ、自分は仕事をしているのだ。そんな兄の神経を疑わずにはいられない。どんな事情があろうとも、付き添いくらいはするべきではないのか。家族が来たらそこのところも含めて色々話をしないといけないだろう。
 千歳のことが気がかりで、石黒も共に五階の病棟へ付き添うことにした。
 検査が長引いたため、午前中の患者は彼女が最後で、外来の待合室に人の気配はなくガランとしている。
 少しでも身体への負担を軽減するため千歳を車イスに乗せ、エレベーターに乗り込んだ。
 内科病棟へ到着すると、すぐに看護師が対応に出てきて病室に案内される。
 千歳にあてがわれたのは、四人部屋だった。入り口から見て左右に二つずつベッドが置かれており、千歳のベッドは右側の奥。窓際だ。五階ということで眺めもよく、窓からは青い空と病院の中庭が見える。
 病室のベッドはすでに二つ埋まっており、千歳の向かいに五十代の女性と、その隣に八十代のおばあさんが新しい同室者となる千歳を興味深々に見つめていた。
 千歳は彼女たちにあいさつをすると、車イスからベッドに移った。
 千歳の荷物はハンドバック一つ。まさか即日入院になるとは思っていなかったのだろう。
 千歳はベッドに上がると着てきた服のまますぐに横になった。
「やっぱり、少し疲れますね。今日は久しぶりにいっぱい歩いたから」
 余計な気を使わせないためか、彼女は血の気のない青白い顔で笑った。それがさらに石黒の心を重くする。
「それでは、ご家族が来られましたら、また改めて病状の説明をいたします」
 後のことを看護師に任せ石黒は病室を後にした。
 ナースステーションで千歳のカルテを書きながら、今後の治療方針を考える。
 千歳本人に先ほどの検査結果について詳しくは伝えていないが、紹介状に添付されていたデータよりもさらに悪化しており、とても危険な状態だった。彼女の心臓はもう限界で、これからどんなに投薬治療を行っても、回復の見込みはほとんどない。それどころか、このままではあと一年も生きられないかもしれなかった。
 石黒の脳裏にふと千歳の笑顔が過ぎる。
 全てを悟ったかのような、大人びた雰囲気を纏った十六歳の少女。明るく笑いながらも、隠しきれない悲しみを滲ませていた。
 ――あんな顔は見たくない。
 救ってやりたいと強く思った。
 出来ることなら完全な健康体にして、普通の高校生としての生活を送らせてあげたい。けれど内科医の自分に出来ることは限られている。治すことは不可能だろう。
 石黒はしばし逡巡すると、おもむろにカルテを掴み立ち上がった。
 迷いのない足取りで外科医局に向かう。
 ――内科的治療で回復が見込めない限り、彼を頼るしかない。
 本心ではあの男にだけは頭を下げたくなかったが、患者のためを思うならこれが最善の策だった。
 病棟とは別に設けられている医局棟への渡り廊下を進み、馴染みのない『外科医局』のプレートがかかったドアの前に立つ。石黒は一つ深呼吸をしてからドアをノックした。
 心の中で「平常心、平常心……」と呟きながら。


           ――――続――――

2014年10月26日(Sun) | 告げる言葉もなく | TB(-) | CM(0)

告げる言葉もなく・4

「この状態では手術できない」
 水原はカルテを一通り読み終えると、即座に断言した。カルテを閉じ、放り投げるようにして石黒に突き返す。
 検討しようともせず「無理だ」と決めつける男に苛立ちが込み上げる。
 水原の態度が悪いのはいつものことだ。今に始まったことではないと自分に言い聞かせ、怒りを飲み込み言葉を続けた。
「確かに厳しい状態だが、何か打開策があるんじゃないのか? この子はまだ十六歳だぞ。なんとかしてやりたいんだ」
「それがどうした。無理なものは無理なんだ」
「内科でもカンファレンスに上げて他の医師とも相談してみる。だから、お前も外科の先生たちに意見を聞いてみてくれないか」
「僕が見て、手術は出来ないって言ってるんだから、誰に聞いたって同じ答えが返ってくるさ」
「聞いてみないとわからないだろう!」
 高慢な言い方が癇に障って大声を張り上げてしまった。医局にいた他の医師が、何事かと二人の様子を窺っている。
 周囲からチクチクとした視線を向けられ、我に返った石黒は気を取り直すように一つ咳払いをした。
「この患者はまだ若い。救ってやりたいんだ」
「助かる見込みのない患者に割く時間はない」
 石黒はカッとなって眉を吊り上げる。
 ――どうしてこの男はこういうことしか言えないのだろう。
 命を救うために医師になったのではないのか。そのためなら不可能と思えることにも挑まなくてはならない時がある。それが今なのではないだろうか。
 しかしどんなに石黒が訴えても水原の考えは変わらなかった。
 確かに難しい症例ではある。
 けれど、何かあるはずだ。
 一人では思いつかなくとも、二人三人と医師が集まれば、何かしら打開策が見つかるかもしれない。
 水原はそうしようとさえしないのだ。
 ――救おうとしなければ何も始まらない。
「……せめて一度、患者に会ってくれないか?」
 一縷の望みにかけてそう提案した。
 検査データを見ただけではわからないものがある。患者に直接会って話をすれば、もしかしたらこの男も考えを変えるかもしれないと思ったのだ。
 石黒は口を閉ざしている男を見つめた。
「……その必要はないだろう」
 だが、冷酷な男は石黒の頼みをばっさりと切り捨てた。とりつく島もない。
 堪えていた怒りが爆発しそうになる。
 肩を震わせ、今にも掴みかからんばかりの形相で怒鳴りつけようとした、その時。
 水原は難しい表情でこう付け足した。
「実は、一つだけ助かる方法がある」
「本当かっ?」
 信じられない気持ちで水原に詰め寄る。
 そんな方法があるのなら、もったいぶらずに言ってほしかった。おそらく性格の悪いこの男のことだから、自分が慌てる姿を見て心の中で笑っていたのかもしれない。水原は本当に意地が悪いのだ。
 だがそれもこの一言で、ついさっきまで感じていた怒りと共に瞬時に掻き消えた。
「それはどんな方法なんだ?」
 気持ちがはやる。
 もしかしたら、救うことが出来るかもしれない。そう思うと期待に胸が高鳴った。
 例えるなら真っ暗な夜道に一筋の明かりが見えたように。彼女の未来に希望が差す。
 しかし石黒の喜びとは裏腹に、水原の表情は硬いままだ。石黒にせかされ、水原はやっと重い口を開いた。
「……心臓移植だ」
「移植……」
 適合する心臓を移植すれば助かる可能性は高い。しかし、今の日本では臓器を提供するドナーの数が外国と比べて少ないのが現状。待機リストに登録しても、順番が回ってくる前に亡くなることもある。日本の移植医療はシビアだった。
 しかし、それでも可能性はゼロじゃない。
 石黒は水原に移植を視野に入れた治療を行うことを提案した。
 経験はなかったが、必要なら専門の病院へ転院を要請してもいい。教授は大学病院の恥になると嫌な顔をするだろうが、少女の命が助かるのなら、それらはとても些細なことだ。
 ところが石黒の話を聞いていた水原は、表情を曇らせ長いため息をついた。
「……無理なんだよ」
 そして、また同じ言葉を呟く。
 水原の煮え切らない態度に苛つきながらも、説得するために距離を詰める。
「厳しいかもしれないが、やってみないとわからないだろう。少しでも可能性があるなら、この方法にかけよう」
 強い眼差しで水原を見つめる。
 祈るような気持ちで彼の返答を待った。
 水原はこちらにチラリと視線を投げかけるともう一度細く息を吐き出す。綺麗な横顔は、少し疲れているように見えた。
「……僕たちが、どんなに移植を行おうとしても無駄なんだ。本人は移植を希望していない。本人が望んでいない治療を強制することは出来ない。だから、無理なんだ」
 その言い方に違和感を覚える。
 まるで患者本人を知っているかのような口ぶり。
 しかし移植の話はまだ本人にも告げていない。それどころか、水原は千歳に会ってもいないのだ。
 それなのに、水原は彼女が移植を拒否していると断言した。
 これは、どういうことなのか……。
 石黒はハッとして水原を見つめた。
 どうして今まで思い至らなかったのだろう。彼女の名前――苗字は……。
「水原、もしかして……」
 彼は今まで見たこともないような複雑な表情を浮かべている。
 やがて観念したかのように伏せていた視線を上げると、腹の底から搾り出したような低い声で石黒の言葉の先を続けた。
「……そうだ。千歳は僕の妹なんだ」


         ――――続――――

2014年10月26日(Sun) | 告げる言葉もなく | TB(-) | CM(0)

告げる言葉もなく・5

 石黒は医局で独り、夜食のカップラーメンを啜っていた。今日は当直当番。当直の夜というのは何年経っても気が重い。
 この仕事はいつなんどき患者が急変するかわからない。昼間なら他の医師もいて互いに助け合える。しかし当直の時間帯は自分ひとりしかいないのだ。
 相談する相手もなく、全て自分の判断で動かなくてはならず、改めて患者の命を預かる責任の重さを実感する。状態の安定しない患者が病棟に入院しているときはなおさら緊張を強いられた。
 とはいえ、呼び出しがない限りは夜食を食べ終わると特にすることがなくなる。空になった容器を行儀悪くゴミ箱に投げ入れ、石黒はそっと室内を見回した。
 夜の病院には独特の空気が流れている。 
 静まりかえった医局はなんとも不気味だ。超常現象には疎い石黒だったが、深夜の病院は気持ちのいいものではない。
 当直の時は気が張って眠れないため、学会で発表する論文でもまとめようと、自分のデスクに向き直った。私物のノートパソコンの電源を入れ画面が表示されるのを待つ。
 すると突然ノックの音が辺りに響き渡り、イスから転げ落ちそうになるほど驚いた。心臓がバクバクと早鐘を打つ。
 時刻は午前一時を少し回った頃。
 看護師ならピッチで呼び出すだろうし、同僚の医師が忘れ物を取りに来るにしても不自然な時間だ。深夜の訪問者に心当たりはない。
 ノックに返事をしないでいると、ガチャリ……、とドアが外側に向かって開いた。
「うわっ」
 思わず声を上げてしまう。
 訪問者もその声に驚いたのか、手に持っていた物を床に取り落とした。そのままコロコロと石黒の足元まで転がってきたのは、カップラーメン。
「なに大声出してるんだ。びっくりするだろ」
 断りもなく内科の医局に踏み込んできたのは、外科の水原だった。
「なんだ、お前か。こんな時間に誰かが来るとは思っていなかったから……」
 決まりが悪くてモゴモゴと言い訳をしながら、落ちたカップラーメンを拾って水原に差し出す。
「で、どうしたんだ? 何かあったか?」
 拾ってやったのにお礼も言わない無愛想な男に尋ねる。
 ご他聞にもれず、この病院の内科と外科は仲が悪い。敵陣とも言える双方の医局へ気軽に足を運ぶ者はおらず、交流も最低限しか行われていない。入局してずいぶん経つが、水原が内科医局を訪れたのは自分が知る限り初めてだ。
 そのため、よほどの理由があって訪ねてきたのかと思ったのだが、水原は予想外の用件を口にした。
「うちの医局、電気ポットが壊れてて。貸してもらおうと思ってさ」
「ポット? そこにあるから使っていいぞ」
 緊急事態かと若干気を張っていたので、その言葉に拍子抜けしつつも安堵した。
 彼は短く返事をすると、他科の医局だというのに遠慮した様子もなくミニキッチンでカップラーメンに湯を注ぎ出す。そのまま蓋をし、時計を見ながら出来上がりをじっと待っている。ここで三分待つつもりらしい。
 その様子を石黒は横目で見ていたが、とうとう我慢出来なくなって声をかけた。自分のテリトリーに我が物顔で居座る男が気になって仕方ない。
「ここで待ってないで、持って帰ったらどうだ?」
 しかし水原は石黒の至極もっともな意見にも耳を貸そうとしない。呆れるくらいのマイペースぶりだ。
 もはや何も言う気になれず、石黒はイスを回してパソコンの画面に視線を戻す。
 そうして論文の作成を再開しようとした時、背後で水原の慌てた声が聞こえた。
「あっ」
 続けてバシャッという水音。
 嫌な予感がして振り返ると、案の定、水原がカップラーメンを床にひっくり返していた。
「……まったく、何やってるんだ」
 ため息をつきながら水原に近づく。
 水原はその場に立ち尽くし、石黒が屈みこんで後始末をする様子を黙って見つめていた。手伝おうともしない男に、怒りが沸々とわいてくる。
「お前なあ、俺にばっかりやらせてないで、少しは手伝えよ。元はといえば、お前がこぼしたんだろうが」
 棒立ちになっている水原の目の前に立ち、彼の顔を覗き込む。
 ところが、ほら、と雑巾を渡しても、両手を胸に抱くようにしたまま受け取ろうとしない。
「早くやれよ」
 苛々しながら、乱暴に水原の右手を掴んだ。
「いっ……!」
 それほど強い力を入れたつもりはなかったのに、水原は庇うように右手を引っ込めた。彼らしくなく、オドオドと視線を泳がせる横顔は蒼白だ。
 さすがに様子がおかしいと思い、再び手を伸ばすと、その動きを察知して逃げるように背を向けられる。何かを隠していると直感した石黒は、水原の背後にぴったりと身を寄せ、身長差を利用して上から手元を覗き込んだ。
 左手で庇うように覆われていたが、右手首の少し上から指の付け根まで、手の甲全体が赤く腫れていた。


      ――――続――――


2014年10月26日(Sun) | 告げる言葉もなく | TB(-) | CM(0)

告げる言葉もなく・6

「おいっ、どうしたんだ、その手は!」
 背後から強引に手首を掴み、上へと引き上げる。
「まさか熱湯を浴びたのかっ?」
 水原は手を振り解こうと身をよじっていたが、その言葉で観念したのか大人しくなった。石黒の言葉を肯定はしないがバツが悪そうに俯く。
「何やってるんだ! 火傷したなら早く言え!」
 手首を掴んだままズルズルと流しまで引きずるように連行し、水原を後ろから抱え込む形で流水で熱傷部位を冷やす。
 熱傷の処置で重要なのは、こうして冷水で患部を十分に冷やすことだ。二十分ほど冷してから、患部の処置を行う。単純なことだが、これが一番重要なポイントで、冷水で冷すかどうかで治り方も違ってくる。
 石黒はそのままの体勢で、しばらく水原の右手を流水に浸していた。共に冷水にさらされ自分の両手も冷えていくが、そんなことにかまっている余裕はない。
 他の人間が同じ状況になっても、ここまでは心配しなかっただろう。
 けれど、水原は曲がりなりにも外科医なのだ。それも二十年に一人と言われるほどの、天才的な技術を持つ、心臓外科医。
 水原の右手は、多くの患者を救う命を紡ぐ手なのだ。
 この際、自分の個人的な感情は余所へやって治療を最優先にする。
 ――そうして十分ほど経った頃だろうか。
 されるがままだった水原が腕の中で身動ぎした。
「……もう、充分だ」
「大人しくしてろ」
「自分で出来る」
 もうすっかりいつもの口調に戻っている。先ほどまでは突然の出来事で彼も動揺していて抵抗もままならないようだったが、気持ちが落ち着いてきたら急に居心地が悪くなったようだ。
「どいてくれないか」
 うっとうしそうに肩を揺する。
 けれど石黒は彼の言葉に耳を貸さなかった。
 ――どうもこの男の言うことは信用出来ない。
 信用できないと思うのはいつものことだが、今はその示唆するところが違っている。
 医者のくせに火傷に驚き、怪我したことも言い出せずにいた。それどころか石黒に背を向け、隠そうとしたのだ。まるで、いたずらを見つかった子供のように。
 自分と同い年の男なのだが、危なっかしくてしょうがない。
 ここで自分が手を放したら、ちゃんと手当てをしないような気がした。見た目は神経質そうなのに、意外と面倒くさがりなのだ。
 以前、先輩医師のお使いで外科医局に赴いた際、ひと際書類が積みあがり食べ物のゴミが散乱したデスクが目に入った。他と比べて五割り増しに汚いそのデスクが水原の席だと知った時には、小綺麗な見た目とのギャップに驚いたものだ。
 もし彼が火傷を放っておいたとしても、自己責任だから自分には関係ない――そう思うのに、なぜか掴んだ手を放せないでいた。

※続きは以下に反転してあります↓



※反転です↓
水原が動くたびに、柔らかい髪が頬をくすぐる。反射的に息を吸い込むと、体臭に混じってシャンプーの匂いがした。すでにシャワーを済ませているようだ。
 唐突に水原の体温を意識してしまう。
 石黒の両腕にすっぽりと収まる細い身体。掴んだ手首も細い。元々が華奢なのだろう、少し力を入れたら折れてしまいそうだ。白衣の襟元から覗くうなじも白く、石黒の視線は花に誘われる蝶のように吸い寄せられる。
 石黒は自分がまるで女性を相手にしているような感覚に陥った。
 ――嘘だろ……。
 自分の身体が水原に反応しそうになっていることに気づき愕然とした。
 前の彼女と別れて一年弱。性格的に遊びで女性と寝ることもできないため、一年近くごぶさただった。
 確かに溜まっているかもしれないが、それにしたって男に欲情するなんて考えられない。それも毛嫌いしている水原に対して、なんて……。
 気のせいだと自分に言い聞かせ、黙って作業を続行する。
 意識しないようにしているのに、目の前の小さな頭はフワフワと揺れる。そのたびにシャンプーのいい香りが漂ってきて、石黒のわずかに残った理性を揺さぶった。
「少しじっとしていろ」
 耳元で低く命令を下すと、呟きに反応して薄い背中がビクリと震えた。
 火傷が痛むのかと心配になり水原の様子を窺うと、彼は肩をすくめて固まっている。
「痛むのか?」
 問いかけてもフルフルと頭を左右に振るだけだ。普段のでかい態度とは正反対の調子に、水原が他にも怪我を隠しているのではと疑った。
「お前、火傷したのはここだけか? まさか、他にも怪我してるんじゃ……」
「違うっ」
 石黒の言葉をさえぎって水原が悲鳴のような声を上げた。焦りさえも窺える口調に、ますます不信感をつのらせる。
「本当か? だったらなんでそんな態度なんだ」
「うるさいっ」
「『うるさい』って、そんな言い方ないだろう。俺は心配してやってるんだぞ」
「黙れって言ってるんだっ」
 いささかムッとしながら水原を見下ろすと、形のいい耳が赤く染まっていることに気付いた。
「……耳が真っ赤だぞ」
 指摘すると、水原の身体が戦慄いた。
 もしかして……と思い、試しにフッと耳に息を吹きかけてみる。細い身体がビクッと撥ねた。
 石黒の中でいたずら心がムクムクとわき上がってくる。
「……ふーん、なるほど」
「な、なんだっ」
「耳が、感じるんだ?」
「……っ!」
 グッと身を寄せわざと耳元で囁くと、水原の身体が石のように硬直する。
 いつも取り澄ましている男がうろたえる様が面白く、常日頃の悪態に対する意趣返しを思いついた。
「ここに来る前に、シャワー浴びたのか? いい匂いがする」
 耳の付け根に鼻を埋め、わざと息を深く吸い込む。同時に後ろから回した腕に力を込め、よりいっそう身体を密着させた。
「細いな。お前ちゃんと食ってるのか? 仕事が忙しいのもわかるが、自分の身体も大切にしろよ」
「やめろっ」
 石黒の身体を離そうと抵抗しているが、いかんせん体格が違いすぎる。後ろから押さえ込まれれば、ヒョロリとした水原は満足に抗えない。
 腕の中で水原が動くたびに、手を浸した流水が撥ねて互いの白衣の袖口を濡らす。
 まずいな、と頭ではわかっている。やりすぎだということも。
 しかし捕えた獲物を解放してやる気にはならなかった。
「そんなに慌てて、どうしたんだ? 俺はただ、水原を心配てるんだ」
「うるさい! 今すぐ離せ!」
 上ずって掠れた声に興奮する。
 そこら辺の男相手だったら、こんなこと頼まれてもしたくはない。けれど水原は女よりも綺麗な顔をしているし、身体つきも華奢だ。男を相手にしている違和感や嫌悪感は不思議と感じなかった。
 自分の行動に歯止めをかけられない。
 どんどん行為がエスカレートしていく。
 ――自分が興奮しているのは、水原が綺麗な顔をしているからだ。水原が綺麗なのが悪い。そもそも彼の態度が悪いから、こうしてこらしめてやるはめになったのだ。
 全てを水原のせいにして、自分の行為を正当化する。
 水原は綺麗だが、男だ。だからこれはセクハラじゃなく、ちょっとした悪ふざけなのだ。
 男同士だからこの位はいいだろうと、白いうなじに顔を埋め唇を寄せる。
「っ! 何するんだっ」
 唇が触れた瞬間、水原の肘がみぞおちを直撃した。
 強い抵抗に、一瞬腕の力が緩む。その隙をついて、水原は身をひるがえし、のしかかる石黒の身体を思い切り突き飛ばした。
 予期せぬ反撃に合い、石黒は後ろによろめいて背中から机に激突する。
「いてっ」
 机の上のペンたてが倒れ、派手な音を立てて床に散らばる。
 運悪く机の角に打ち付けた背中がジンジンと痛み始める。その痛みに気を取られている間に水原は医局を逃げるように出て行った。
 ドアの閉まる音で我に返った石黒は、呆然とその場に座り込んだ。
 ――何をしてるんだ、俺は……。
 自分のしたことは明らかにセクハラだ。相手が男であっても……。
 同じ病院の、同期の男相手に、最低のことをしてしまった。
 冗談にしてもタチが悪すぎる。
 深い自己嫌悪に陥り、石黒は両手で顔を覆った。
 長時間、冷水に浸された両手は冷え切り、指先の感覚がない。
 それでも水原の手首の感触を忘れることは出来なかった。




           ――――続――――

2014年10月26日(Sun) | 告げる言葉もなく | TB(-) | CM(0)

告げる言葉もなく・7

「先生、どうしたの?」
 その声に今は回診中だったことを思い出した。ぼんやりしていた石黒は慌てて表情を繕う。
「ん、悪い。ちょっと考え事してた」
「ふーん、お医者さまも大変ね」
 千歳はふわりと微笑んだ。
 兄妹だけあって、その顔は兄である水原に似ている。纏う雰囲気は正反対だが、こうしてよく観察してみると、パーツの一つ一つが似ているのだ。千歳が性格まで水原に似なくてよかったと石黒は心の中で呟いた。
「そういえば、お兄ちゃんも最近おかしいの。なんかソワソワしててね。落ち着きがないっていうか」
 いきなり話題が水原のことに移り、ギクリとして顔を強張らせる。
 二週間前、石黒は結果的に彼を不快な気分にさせてしまった。一人医局に取り残された石黒は、己のしたことに自分自身ショックを受け、その後もしばらく落ち込んだ。
 ――どう考えても非は自分にある。
 わかっているのだが、これまでいがみ合ってきた相手に素直に謝ることも出来ない。しかしこのまま何事もなかったかのように振舞うことも無理だろう。
 しばらくは悶々とした日々を過ごしていたが、時間が経つにつれ逆に吹っ切れて、こんなことでいつまでもウジウジしているのが馬鹿らしくなってきた。一度はっきり謝って決着をつけてしまえば悩むこともなくなるだろうと、一週間経った頃にようやく外科医局まで謝罪に行ったのだ。けれど肝心の水原は医局には居らず、すれ違っているのかどこを探しても見つからなかった。
 その翌日、たまたま食堂で食事をしている水原の姿を見かけたが、周りに他のスタッフもいたため、内容が内容だけに話をすることはためらわれた。水原は石黒に気づくことなく定食を黙々と食べていたが、その右手には真っ白な包帯が巻かれていた。あの後、ちゃんと手当てをしたようだ。ずっと気にかかっていたので、そのことに安堵した。
 結局、水原と実際に言葉を交わせたのは、あの夜から十日も過ぎてからだ。
 千歳の病室から出てきたところを捕まえ、人気のない裏庭に連れて行った。
 ひたすら頭を下げて謝る石黒に、最初は不機嫌だった水原も最後は折れて「もう気にしてない」と吐き捨るように返された。怒ったような口ぶりに引っ掛かりを覚えたものの、とりあえず許しを得たことにホッとして、去っていく男の背中を見送る。
 この時、もう水原の右手首に包帯はなかった。日の光の下、さらされた肌にはまだ微かに赤みは残っていたものの水ぶくれにもなっていない。このぶんなら火傷の跡も残らないだろう。
 それから水原の態度は普段どおりに戻ったが、なぜか石黒の気持ちはすっきりしない。
 あんなことがあったからなのだろうか。ついつい目が水原の姿を追ってしまう。彼を見つけたからといって声をかけるわけでもないのだが、無意識の行動は制御できない。
 実は千歳の病室に足を運ぶ回数も増えている。その理由が、担当患者だから頻繁に顔を出すのか、水原の妹だから気になるのか自分でもわからなくなっていた。
 水原は時々病室を訪れているようで、病棟で彼を見つけると、素直に嬉しいと感じてしまう。もちろん自分に会いに来たわけではなく、妹の見舞いに来ているのだとわかっているが、それでも必要時以外に寄り付かなかった頃に比べれば物理的な距離は近くなったように思う。
 たとえ言葉を交わさなくても、顔を見ただけで以前とは違った胸のざわめきを感じていた。
 あの夜をきっかけに自分の胸に生まれた感情。それにはあえて名前をつけないでいた。気づいてはいけない感情なのだと、頭の中で警鐘が鳴っている。
 とにもかくにも、不順な動機ながらも足しげく病室に通った結果、こうして千歳も徐々に心を開き、友人のように話をしてくれるようになった。
 信頼を寄せてくれる千歳に少々、後ろめたい気持ちを感じるが、彼女の病状が気にかかっているのも事実だ。きっかけが何であれ、千歳との関係も良い方向に進んでいるのだから、些細なことは気にしないようにしている。
「もう、先生! ちゃんと聞いてるの?」
「ああ、ごめん、ごめん。ちゃんと聞いてるよ」
 またしても水原のことに気を取られていた。石黒は気を引き締め千歳に向き直る。
 ――千歳が入院して一ヶ月が経過した。
 病状は一進一退で、こうして元気な日もあれば、辛そうに臥せっている姿を目にすることもたびたびあった。考えうる限りの内科的治療を行っているが、正直、現状維持が精一杯だ。
 実は、少し前に水原には相談せずに千歳に心臓移植の話をした。
 メリット、デメリットを伝え、待機リストに登録しないかと持ちかけたのだ。
 けれど千歳の答えは、以前水原が言った通りのものだった。
『移植はしません。心臓を移植するってことは、誰かから心臓をもらうんでしょう。私は嫌。だって、もし登録したら、私は毎日誰かが死ぬのを願うようになる。自分が生きるために、人の死を切望してしまう。そんなの、嫌です。自分がそんな人間になるなんて耐えられない。私が今の私であるために、心臓移植を拒否します』
 あの時の千歳の顔は忘れられない。
 凛とした迷いのない瞳。
 わずか十六歳の少女がここまで考えているとは思わなかった。
 石黒は彼女の意思を尊重することに決めた。
 自分を失って生きるよりも、自分の心を大切にしたいと言った千歳。
 石黒は彼女の言葉に考えさせられた。
 多くの人を救いたいと思い、医者という道を選んだ。だから一日でも長く命をつなぐことが正しいと思っていた。
 けれど、こういう生き方もあるのだ。
 決して諦めているわけではない。
 その人らしく生きるために、延命治療を拒否する人もいる。
 何がその人にとって幸せなのか――それを考えて治療を行うことが大切なのだと、改めて痛感した。
 そして、そのことを教えてくれた一人の少女を、なんとしても救いたいと前よりも強く思うようになっていた。


         ――――続――――


2014年10月26日(Sun) | 告げる言葉もなく | TB(-) | CM(0)

告げる言葉もなく・8

 おそらく、千歳に残された時間はあとわずか。
 幸せな一生にしてあげたいと、願わずにはいられない。
 しばし雑談に興じていると、千歳がふいに言葉を途切れさせ、真剣な眼差しを向けてきた。
「あのね、先生にお願いがあるの」
「ん? なんだい?」
 千歳が頼みごとをするのは初めてだ。どんな苦しい時にも弱音を吐かない彼女は、真剣な眼差しで石黒を見つめている。
 改まってどうしたのだろうと、石黒は千歳の話に耳を傾けた。
「先生にこんなこと言うのもおかしいんだけど……。お兄ちゃんね、友達が一人もいないの。だから、先生にお兄ちゃんと仲良くしてほしいんだ」
「……え?」
「ほら、うちの両親、私たちが小さいころに亡くなってるから、お兄ちゃん、私と弟を育てるために一生懸命働いてきたの。大学も奨学金で行って、アルバイトもして……。私たちのために、自分は働いてばかり。友達を作って遊んだりもしないで、私たちと一緒にいてくれたの」
 初耳だった。
 そういえば大学時代もサークルに入らず、飲み会にも参加したことがない。付き合いの悪いヤツだと思っていたが、そんな事情があったとは……。
「私たちを守るために、お兄ちゃんは一人で頑張ってきたの。私は両親がいなくても幸せだった。いつもお兄ちゃんが傍にいてくれたから……。でも、お兄ちゃんはひとりぼっちなの。疲れたとか、辛いとか、大変だとか、一度も私に言ったことない。でも、本当はいっぱいいっぱい大変だったはずよ。私の前では平気な顔してるけど、辛くないはずないもん。だから先生にはそういうことを言える友達になってほしいの」
 千歳は涙ぐんでいた。
 千歳は自分の病気のことで泣いたことがない。石黒が初めて目にした彼女の涙は、最愛の兄のために流したものだった。
 兄弟のいない石黒にはわからない絆の深さを見た気がする。石黒も両親と仲が悪いわけではなかったが、この兄弟を見ていると少し羨ましくなってくる。
 石黒の実家は小さな診療所を経営していた。父は内科医で母は看護師として働いている。
 両親から直接言われたことはないが、一人息子である自分に跡を継いでほしいと望んでいることは薄々感じていた。自宅と同じ敷地内に診療所があるため、受診に訪れた患者と顔を合わせる機会が多く、小さい頃から会う人皆に「お父さんのように立派なお医者さんになるんだよ」と暗示のように言われて育った。
 そうして両親と周囲の期待を一身に背負い、石黒は生まれる前から決まっていた医者になる道を選んだのだ。
 別段、不満があるわけではない。
 父の背中を見て育ったから、この仕事が誇りを持てるものだと知っている。
 けれど、時々考えてしまうのだ。
 もし自分に兄弟がいたら……。
 自分は迷わず医者を目指しただろうか。
 何も知らなかった子供の頃は、無邪気に他の夢を抱いていたように思う。
 けれど高校受験を控えたある日、石黒が「医者になる」と言った時、両親はあからさまにホッとした顔をした。「別に跡を継がなくてもいいんだぞ。好きなことをやりなさい」と諭しながらも嬉しそうな父の顔を見たら、「将来は写真の勉強がしたい」とは言い出せなかった。
 この仕事が好きだし、医者になって良かったと思っている。休日は山に登り、趣味となった写真を撮る。それで充分満足出来ているから、やはりこの道を選んで良かったのだと思う。後悔したことも一度もない。
 ――だけどもし、兄弟がいたら……。
 たった一人で親の期待を背負うことなく、もっと柔軟に将来について考えられたかもしれない。そういった悩みを、同じ立場で聞いてくれる兄弟がいるだけでも心が軽くなったかもしれないと思うのだ。
 だから、水原の気持ちも少し理解出来る気がした。事情は違うかもしれないが、たった一人で責任を背負うことの辛さは知っている。
 石黒は鼻を啜る千歳の頭を宥めるように撫でた。
 重い病を患いながらも、千歳をこんな優しい子に育てた水原は、立派な兄なのかもしれない。病院では鼻持ちならない嫌な男だが、家の中では妹思いの優しい兄なのだろう。本人には言うつもりもないが、少し見直した。
 ――彼の本質は自分が思っているものとは違うのかもしれない。
 今までは反発するばかりで知ろうとしてこなかった。
 石黒は自分が水原のことを本当の意味でわかっていなかったことにようやく気付く。
「……なんで俺に頼むんだ?」
 素朴な疑問を口にした。
 どうして自分なのだろう。よりにもよって、一番いがみ合っている自分に「友達になって」と頼むのはおかしい気がする。
 千歳の前で水原の話題を振ったことはない。悪口も言わないが、褒めたこともない。
 なぜ他の誰でもなく、自分にこんなことを頼むのか理由がわからなかった。
「だって、石黒先生が一番お兄ちゃんと仲がいいもの」
 千歳は一瞬キョトンとした後、当たり前のように言った。
 とんでもない思い違いに、驚いて少女の顔をまじまじと見つめる。
「ここに来ると、よく先生の話をするのよ。『暑苦しい』とか『熱血バカ』だとか言ってるけど、石黒先生の話をするときのお兄ちゃんってなんか楽しそうなの」
 がっくりとうな垂れた。妹にまでそんなことを吹き込んでいるだなんて……。
「……それは、俺のことを嫌ってるから、悪口言って楽しんでるんだよ」
 苦笑いしながら決して仲が良いわけではないと続けると、千歳は「違うわ」と否定した。
「今まで私に仕事の話なんてしたことないのよ。もちろん、同じ病院の人のことも聞いたことない。でも石黒先生は別。大学で一緒だった時から、たまに先生のことを話してたわ。特にここ最近はずっと石黒先生のことばっかりだし……。口では悪く言ってるけど、お兄ちゃんは先生のことを気に入ってるのよ」
 自信満々な千歳だが、石黒は彼女の言葉をうのみには出来なかった。あの男の中で自分の存在がそれほど大きなものだとは思えないのだ。現に今も昔も二人の関係は変わらずに険悪。学生時代はまだしも、内科医と外科医という立場になってからはそれに拍車がかかったように思う。
 実際に自分たち二人の会話を聞いたことがない千歳は勘違いしている。しかし純真な瞳で自分を見つめる彼女に、本当のことを告げるのもためらわれた。
 一向に引き下がる気配のない千歳に根負けしたように石黒は頷いていた。
「わかったよ、俺が水原の友達になる。まあ、アイツが嫌だって言うかもしれないけど……」
 水原と友人関係を築けるとは微塵も思っていなかったが、石黒は千歳に約束した。それで彼女が満足するならと思ったのだ。
 千歳はやっといつもの笑顔になり、「お兄ちゃんなら言いそうね」と冗談めかして笑った。


        ――――続――――


2014年10月26日(Sun) | 告げる言葉もなく | TB(-) | CM(0)

告げる言葉もなく・9

 その日は朝からとても忙しかった。
 病棟で急変が相次ぎ、石黒はもちろん、手のあいている医師は全員患者の処置に追われていた。
 やっと一段落したのは、お昼をだいぶまわった頃だ。
 石黒はひと気のない食堂で遅い昼食にと、うどんをすすっていた。外からは救急車のサイレンが聞こえてくる。今日はどこも忙しそうだ、と人事のように考えていると、白衣の胸ポケットにあるピッチが鳴り出した。
 慌ててディスプレイを確認する。意外なことに救急センターのナンバーが表示されていた。
 大学病院だから、もちろん救急車の受け入れを行う救急センターもある。けれどいつもは救急専属の医師が治療にあたっていた。救急では対応しきれない場合に専門の科の医師が呼ばれることもあるが、内科の石黒に要請がくることは滅多にない。
 間違いかと思いながらもピッチに出ると、電話口の向こうから早口の女性の声が聞こえてきた。
『救急センターの看護師、石井です。近くで玉突き事故が発生し、これから患者さんが運ばれてきます。救急だけでは対応しきれないので、手があいていましたら応援お願いします!』
 それだけ伝えると通話は一方的に切られた。
 どうやら大規模の事故が起こったらしいと推測する。外科内科かまわず、かたっぱしから応援要請をしているのだろう。
 事情を察した石黒はピッチを見つめしばし考え込んだ。
 ――行くべきか否か。
 石黒は内科医だ。
 事故というからには外傷患者が主だろう。
 内科の自分が行ってもたいした役には立たないかもしれない。
 ――けれど、いないよりはましなはずだ。
 そう結論を出すと、半分も食べていない食器を片付け始める。
 表情を引き締め、救急センター目指して駆け出した。

 駆け込んだ救急センターは人でごった返していた。
 石黒が到着する前にすでに何人かの外傷患者が運ばれていたらしく、処置室は全て埋まっている。救急の医師たちが治療に追われている中、またもサイレンの音が近づいてきて新たな患者が到着した。そのたびに看護師が対応に追われ、廊下を走り回り、ベッドの確保に動いている。
 石黒は初めて目の当たりにするすさまじい現場に気後れしていた。
 ストレッチャーに乗って連れてこられるのは、皆外傷患者ばかり。それも、石黒の手に負えないような重症が多い。
 何から手を出していいのかわからず呆然と立ちつくしていると、後ろから腕を掴まれ引っ張られた。
 突然のことに驚いて視線を後方へ向けると、そこには水原の姿があった。内科に呼び出しがかかるくらいだから、当然外科医の彼も応援にかけつけてきたのだろう。
「こっちを手伝え」
「わ、わかった」
 現状把握だけで精一杯だった石黒とは対照的に、彼はこういう場面に慣れていた。戸惑う石黒の腕を掴み、人で溢れる通路を縫うように歩いていく。
 そうして連れて行かれたのは、廊下の端についたてで仕切られただけの即席の処置室。
 ストレッチャーには五十代と思しき男性が横たわっていた。この事故に巻き込まれた患者なのだろう、左足と上半身に無数のガラス片が刺さっており、着ているスーツは真っ赤な血で染まっていた。
 水原は患者の枕元に立つと、落ち着いた声音で語りかけ、意識レベルの確認を始める。
「ここがどこだか、わかりますか?」
「いてぇっ! 早くなんとかしてくれよぉ!」
「あまり動かないで。ガラスが身体中に刺さってるんです。今からそれを取り除きますから」
「痛いんだよ! 死んじまうよぉ!」
 患者は半狂乱で暴れている。水原は狭いストレッチャーから転げ落ちそうになる患者を押さえつけ、根気よく男に声をかけ続ける。
「いいですか、痛みがわかるのはいいことなんです。あなたは意識もはっきりしている。大丈夫、死にません」
 石黒は自分の耳を疑った。
 いつもの水原なら怒鳴りつけていたかもしれない。それが優しい口調で患者を諭し励ましているのだ。
 こんな極限状態にあって、水原はかつてないほど患者に親身になっている。
 やれば出来るんじゃないか、と石黒が感心していると、水原がふいにこちらを振り向き鋭い眼差しを向けてきた。
「何ぼさっとしてるんだ! 早く準備しろ!」
 先ほどの光景は幻かと思うほどの強い口調。勢いの呑まれた石黒は頷くしかなかった。
「ああ、……何が必要だ?」
「鎮静剤と、あと局所麻酔。縫合セットも」
 指示を受けて石黒は辺りを見回した。
 だがどの看護師も手があいておらず、石黒は廊下に投げ出されたカートを漁り、言われた薬品や器具を自力で探し始める。
 どうしても縫合セットが見つからず、廊下を走って行く看護師を呼び止めて場所を尋ねると、鬼のような形相で「処置室の棚に入ってます!」と返された。
「遅い!」
 やっとの思いで物品を見つけて戻ったというのに、今度は水原に怒鳴られた。横柄な態度に腹が立ったが、それも暴れる患者を一人で押さえ込んでいる水原を見たら仕方のないことに思える。
 細身の水原が大の男を押さえ込むのは相当大変だっただろう。助けを呼ぼうにも皆手が塞がっている。石黒が来るまで、彼は一人で奮闘していたのだ。
 石黒は水原と交代し、患者に覆いかぶさるようにして全身を使って動きを封じる。
 水原は手早く処置の準備をすると、鎮静剤を患者の肩に注射した。
「大丈夫です。あなたは絶対に助かります」
 水原の力強い言葉に、薬の効果か落ち着きを取り戻した患者はしっかりと頷く。
 患者が力を抜いたことを確認し、石黒も抑えつけている手を緩めストレッチャーから離れる。セッシを構える水原の邪魔にならないよう、少し後ろから彼の動きを見つめた。
 ――水原の技術はすばらしかった。
 内科医の石黒でもわかるほど、的確に素早くガラス片を抜き取り、傷口を縫合していく。思わず見とれてしまうほど、舞うように動く指先は美しい。
「縫合糸、新しいの出して!」
「あ、ああ」
 石黒は手も出せず、もっぱら看護師が担当する介助を行う。けれどその介助さえおぼつかず、処置のスピードについて行けずに水原に何度も「遅い!」と怒鳴られた。
 でも不思議と腹は立たない。
 それどころか、完璧な手技を目の当たりにして感動すらしていた。
 このままずっと見ていたいような感覚。
 瞬きするのさえ惜しい。全てこの目に焼きつけておきたかった。
 ――彼が天才と評される所以がここにある。
 そして、水原に執刀してもらえる患者は幸せだと思った。


            ――――続――――


2014年10月26日(Sun) | 告げる言葉もなく | TB(-) | CM(0)

告げる言葉もなく・10

「あと少しで終わります。そのまま動かないで……」
 あとは左大腿部の傷口の縫合だけというところで、石黒のピッチの着信音が響いた。水原の集中力を乱したようで、ジロリと睨まれる。出ようかどうしようか迷っていると、水原が「早く出ろよ」と苛ついた声で言った。
 慌てて通話ボタンを押すと、かけてきたのは病棟の看護師だった。
『石黒先生、千歳ちゃんが急変です! すぐにこちらへ来てください!』
「えっ?」
『巡視に行ったら、意識がなくて……。脈も弱くなってます。血圧は…………』
 ――どうしたんだろう。
 看護師の声が遠くで聞こえる。
 何を言っているのか理解出来ない――いや、したくなかった。
 予想もしていなかった事態に、動揺して頭がまわらない。ピッチを握り締めたまま固まってしまう。
 ――まだ、早すぎる。
 千歳の状態は落ち着いていた。発作も最近は起こっていなかったのだ。今朝も顔を合わせ言葉を交わしたが、別段変わった様子もなかった。
 ――どうして……!
 何かの間違いだとしか思えない。
 千歳はまだ死んではいけない。
 なぜ、どうして、という言葉が頭の中を駆け巡る。
「石黒!」
 その時、強い力で肩を掴まれた。
 視線を向けると、目の前には水原の険しい顔がある。
「どうしたんだ、しっかりしろ!」
「水原……」
 彼の瞳が自分を真っ直ぐ見つめている。
 石黒はようやく自分の取るべき行動を思い出した。息を深く吸い込むとピッチに向かって「すぐに行きます」と伝える。
 通話を切ると再び水原に向き直った。
 ――伝えなくてはいけない。
 千歳は彼の妹だ。
 彼女は今、死の淵に立っている。
 おそらく、もう回復は望めないだろう。
 ならせめて最期の時を一緒に過ごさせてあげたい――。
 今まで何人もの患者を救えずに見送ってきた。家族に死亡宣告をしたこともある。危篤の知らせを伝えたことも。
 いつもと同じようにすればいいと頭ではわかっているのに、声が喉に引っかかって出てこない。
「病棟からか? ここはもう大丈夫だから、上へ行ってやれ」
 水原は処置を再開していた。
 こうしている間にも、千歳の命の残り火はどんどん小さくなっていく。
 石黒は覚悟を決めて水原の右手を掴んだ。
「何をするんだ!」
 縫合中だった水原は危うく手元を誤りそうになり、石黒を怒鳴りつけてきた。
 石黒はそれでも手を放さず、真っ直ぐに瞳を見つめて告げた。
「……病棟に行くのはお前だ。千歳ちゃんが、危篤だ」
 水原は驚きに目を見開いた。
「ここは俺が変わる。お前は病室に行け」
 水原を押しのけ、患者の前に立とうとした。しかし、水原がそれを許さない。
「……いや、いい。僕の患者だ。最後まで僕がやる」
 持針器を握り直すとそのまま縫合を続行する。
 石黒は一瞬何を言われたのかわからなかった。
 そうして時間をかけてその言葉の意味を理解した時、愕然としたのだ。
 自分の妹が危ないというのに、こんなところで縫合をしている場合か、と怒鳴りつけたくなる。それを堪え水原に歩み寄り諭すように言葉を続けた。
 平然としているように見えて、実は動揺しているのかもしれないと思ったからだ。大切な妹の危篤を知らされて、彼は正常な判断が出来なくなっている。
「水原、いいから。後は俺がやっておく。お前は早く千歳ちゃんのところへ……」
「この患者は僕の患者だ!」
 突然水原が大声を張り上げた。
 処置を受けている患者も驚いて目を丸くしてこちらを見ている。
 呆気に取られている石黒の前で、水原は気を落ち着かせるように大きく息を吐き出すと、静かに続けた。
「僕は医者だ。患者を残して治療の途中で席を外すことはできない。千歳の主治医はお前だ。お前が行け」
「だが……」
「ここが終ったらすぐに行く。早く行け!」
 そう言うと、目の前の患者に視線を戻した。
 迷いのない動き。先ほどのやり取りなどなかったかのような見事な指さばきだった。
 淡々と処置を行う水原の様子を呆然と見つめ、石黒は言葉を失う。
 ――納得出来ない。
 ここには他にも医者がいる。こんな時くらい、周りの人を頼ってもいいのではないだろうか。
 ――医師としては立派だ。けれど、兄としては……!
 彼の真意がわからない。
 本当はどうしたいのか、放たれた言葉が真実なのかもわからなかった。
 千歳を通じて彼の事を以前よりは知ったと思っていた。見直したところもある。
 けれどやはり自分たちはわかり合うことは出来ないのだろうか。
『お兄ちゃんと友達になってあげて』
 その千歳との約束も果たしてやれるか自信がなくなってくる。
 石黒は唇を噛み締めると水原に背を向けた。後ろを振り返らず人ごみを掻き分けながら、千歳の待つ病室へ向かう。
 彼の言動には腹が立ってばかりいた。けれど今は怒りよりも悲しみを感じる。
 救急センターを出る前に、ふと水原の声が聞こえた。相変わらずスタッフの怒号や患者の苦痛の声が飛び交う中、聞こえるはずのない声が――。
『千歳を頼む』と、男が呟いた気がした。


        ――――続――――


2014年10月26日(Sun) | 告げる言葉もなく | TB(-) | CM(0)

告げる言葉もなく・11

 息を切らせて病室に飛び込むと、看護師が四人がかりで処置を行っていた。
 千歳はたくさんの器械に繋がれなんとか息をしている状態で、石黒は物々しい室内の様子に一目で緊急を要する事態なのだと理解する。
「容態はっ?」
「心拍数三十切ってます! 酸素飽和度も低下していたので、二リットルで酸素吸入開始してます。血圧も低下、脈が弱すぎて測定できません」
 報告を受けている間にも、心電図モニターに映し出されている心拍数はみるみる落ちていく。
 このままでは心臓がいつ止まってもおかしくない。
「点滴ライン確保できてるか?」
「はい!」
 千歳の右手には点滴が入れられており、石黒はそのラインを使って次々と薬剤を注入していった。
 いくら薬を使っても心拍数は上がらない。心電図の波形はどんどん間延びしていく。
「くそっ! 除細動器、用意して!」
 もはや一刻の猶予もなかった。
 石黒は最後の望みをかけて、除細動器を胸に置きショックを与える。
「離れて!」
 電流を流しても、心拍は戻らない。
 そうこうするうちに波形は一直線になった。
 危険を知らせるモニターのアラーム音が響き渡る。
「心臓マッサージ!」
「はいっ」
 看護師がすぐさま千歳の身体の下に四角い板を差込んだ。石黒は胸の上に手を置き、祈るような気持ちでマッサージを始める。看護師は自力で呼吸出来なくなった千歳にアンビューで換気を行っていた。
 しばらくして一旦手を止め波形を確認するが、石黒が手を離すとすぐにフラットになってしまう。
「再開しますっ」
 何度も何度も同じことを繰り返した。
 戻って来いと強く願いながら、ずっと心臓を押し続けた。
 ――まだ、死ぬのは早すぎる。
 絶望的な状況の中で、石黒は神に縋るしかなかった。
 ――まだ、生きなければならない。
 きっと彼女とこれから出会う多くの人が、千歳の笑顔に救われる。
 ここで死なせるわけにはいかないんだ――!
 ……どれくらいそうしていただろう。
 石黒の全身からは滝のような汗が流れていた。
 額の汗が、ポタリと千歳の頬に落ちる。
 まるで涙のように見えた。
 石黒は手を止め、俯きながら千歳から離れる。
 心臓はとうとう動かなかった。
「……十八時二十七分、死亡を確認しました」
 石黒はベッドに横たわる千歳に頭を下げた。
 やりきれない気持ちが胸に広がり、奥歯を噛み締めて暴れ出したい衝動をやりすごす。
 言葉には出さず、心の中で何度も何度も、助けられなかった少女に謝った。

 石黒は冷たくなった千歳に付き添い、霊安室のイスに座っていた。
 狭い室内には線香の香りが漂っている。充満する濃密な匂いに胸焼けがしそうだ。
 結局、水原は千歳の最期に間に合わなかった。それどころか、綺麗に身を清めている間も、病室から送り出す時にも現れなかったのだ。
 時刻は夜八時。
 救急センターで別れてから五時間も経っている。
 あの時、水原はすぐに行くと言っていた。
 それなのに一度も顔を見せていない。
 これは、いったいどういうことなのか……。
 石黒は薄暗い霊安室の中で一人、ずっと考え続けている。
 他人には厳しいが、身内には優しい男なのだと思っていた。現に病室で千歳に見せる顔は、優しく慈しむものだった。こんなに優しく笑える男なのかと目を疑ったほどだ。
 そして今日は初めて水原の技術を間近で目にし、本当に素晴らしい外科医なのだと、感動すらしていた。
 ――あの夜も……。
 熱湯を浴びて、右手に火傷を負った時、水原は子供のように無防備な顔をしていた。頼りなげな、どうしていいかわからないといった顔に庇護欲を掻き立てられた。
 この腕に、すっぽりおさまってしまうほど細い身体。透き通るような白い肌。柔らかい髪。彼の匂い。
 男だとわかっていても、つい手を伸ばしてしまった。
 石黒の言葉に反応し、赤くなった耳。あんなに焦った姿は初めて見た。不覚にも可愛いとも思ってしまった。
 ――思い返せば、はじめからいけ好かない男だった。
 態度は横柄で口も悪い。他人のことなどおかまいなしに動く男。
 綺麗なのは顔だけで、思いやりの欠片もないと決め付けていた。
 けれどこの数週間でそれだけが彼を形作る全てではないことを知ったのだ。彼もまた、血の通った人間なのだと思い直した。
 そうして新しい一面を知るたび彼から目が放せなくなっていく。自分の気持ちの変化に戸惑いながらも、水原のことを考える時間が多くなっていった。
 ――千歳を通して少しは歩み寄れたと思ったのだ。
 けれど、結局、自分はあの男の考えを理解できなかった。
 二人の関係が以前と多少は変わったと思ったが、それは自分だけのことで、彼は何一つ変わっていなかったのだ。
 ――自分の甘さを笑ってやりたい。
 もう、感情がごちゃ混ぜになって、考えがまとまらなかった。
 その時、霊安室の扉が小さな音を立ててゆっくりと開き、廊下の光が室内に差し込んだ。
 反射的に振り返ると、入り口で佇む細い人影が目に入る。
「……水原」
 水原は手術着のまま、白い布をかけられた千歳に歩み寄る。
 逆光で彼の表情はわからない。
 顔にかけられた布を取り、水原は無言で千歳を見下ろした。
「千歳、死んだのか?」
 くぐもった声。
 少しは、悲しんでいるのだろうか。
 水原に会ったら言いたいことが山ほどあった。それなのに、いざ本人を前にすると言葉が出ない。怒りさえも、わいてこなかった。
 ただ絶望に似た悲しみが胸に去来する。
 石黒は静かに彼女の最期の様子を伝えた。
「……病室に行った時には、すでに危険な状態だった。……手を尽くしたが、助けられなかった。亡くなったのは、十八時二十七分だ」
「そうか……」
 それきり黙ってしまう。
 妹の亡骸を見ても、助けられなかった石黒を責めることもなく、取り乱しもしない。涙一つ流さなかった。
 身動ぎもせずに傍らに佇んでいるだけだ。
 石黒も何も言葉をかけなかった。
 二人で黙って千歳の傍にいた。
 やがて葬儀社のスタッフが到着し、千歳の遺体を車に乗せる。石黒も水原と並んでそれを一緒に見送った。
 これまで、何人かの患者をこうして見送ってきたが、今ほど憤りを感じたことはない。
 己の力のなさを痛感し、やるせない気持ちがつのる。
 ――もし自分がもっと腕の良い医者だったら……。彼のように天賦の才を与えられていたら。
 今、こうして水原とここにいることはなかっただろう。
 水原は付き添うこともせず、棺に納められ車に運ばれる妹を無言で見つめていた。
 やがて千歳の乗った車は走り出し、どんどん小さくなって、病院の敷地を出たところで見えなくなった。
 水原と二人、その場に立ち続ける。
 しばらくして彼は思い出したように石黒に頭を下げた。
「妹が、世話になった。ありがとう」
 それは、水原の口から聞いた初めての感謝の言葉だった。


         ――――続――――


2014年10月26日(Sun) | 告げる言葉もなく | TB(-) | CM(0)

告げる言葉もなく・12

 千歳の葬儀は静かなものだった。
 人生の大半を病院で過ごしてきた千歳には友人も少なく、弔問に訪れる者もごくわずかだった。
 石黒も休みを取り、千歳の葬儀に参列した。
 棺の中で横たわる少女は、高校の制服を着ている。石黒には言わなかったが、学校に戻りたいと親しい人にこぼしていたようだ。
 千歳は、本当に綺麗な顔をしていた。
 長年の闘病生活でやややつれた印象はあるものの、穏やかな顔をしている。わずかに上がった口角が、いつも笑顔だった彼女らしく、笑みをたたえているように見えた。
 静かに眠る千歳を見ていると、熱いものがこみ上げてくる。石黒は泣いてしまいそうになった。涙をグッと堪えて棺に彼女が好きだったというコスモスの花を入れる。
 故人に別れを告げる人々の中に、水原の姿は見当たらない。親族席にもいなかった。
 一言あいさつをするべきだろうと会場内を見渡していると、一人の少年が近づいてきた。
 その少年の顔を見た時、石黒は飛び上がらんばかりに驚いてしまった。まるで千歳が生き返ったのかと思うほど、少年は彼女にそっくりだったのだ。
 唖然としている石黒の前で少年は立ち止まり、深々と頭を下げた。
「兄と姉からお話を伺ってます。主治医の石黒先生ですよね」
 驚きに言葉もなく凝視していると、少年がクスリと笑った。その顔も千歳に生き写しだ。
「皆さん、そうやって驚かれるんです。自分ではあまり意識したことないんですが、そんなに似てますか?」
「……ああ、とてもよく似ている」
 まるで千歳が目の前にいるかのような不思議な感覚。
「はじめまして。水原拓磨です。千歳の双子の弟です」
 拓磨は少し話がしたいと、石黒を葬儀場の外へ促した。その後をついて行きながら、本当に瓜二つだと感嘆のため息をつく。
 拓磨は石黒と二人きりになると、静かに話し始めた。
「お忙しい中、姉のためにご足労いただき、ありがとうございます。姉もきっと喜んでいると思います」
「いえ、このたびはご愁傷様でした」
 互いに頭を下げながら、こういう場のお決まりの言葉を口にする。
 千歳もそうだったが、拓磨も若いのにしっかりした子だと感心した。
「千歳がお世話になっている先生に、一度ごあいさつをと思っていたのですが、僕は家を出て他県の高校に通っていて……。ごあいさつも出来ずに、申し訳ありませんでした」
「いえ、とんでもない」
 丁寧な口調に、石黒のほうが慌ててしまう。
 そういえば、千歳に弟がいると聞いたことがある。学校の寮に入っているため、あまり頻繁に会うことはないが、離れていても寂しくはないと言っていた。周りに心配をかけまいとして強がって言っているのかと思っていたが、双子なら何か特別なもので通じ合っていたのかもしれない。
「それに、兄の彰人とも親しくしてくださっているとか」
 石黒がそんなことを考えていると、琢磨が続けて水原の名を口にした。思わず苦笑してしまう。
「弟の君にこんなこと言うのもあれかもしれないが……。俺たちは親しくなんてないんだよ」
 千歳といい拓磨といい、どうして自分たちを友人にしたがるのだろう。それとも双子だから考えが似ているだけなのだろうか。
 どちらにしろ、今後も自分と水原は相容れることはないだろう。今回のことでそれを改めて痛感した。
 拓磨は黙って石黒の話を聞いていたが、やがてフワリと微笑んだ。
「兄は、僕たちが恥をかかないように医者になりました。両親がいないからといって、世間から白い目で見られないように。そして、病気の姉を治すために、心臓外科医になったんです。兄はとても優しい人です。人と接することが少し下手なだけで……。石黒先生にはこれからも、兄と仲良くしていただけると嬉しいです」
 やはり千歳と同じことを言う。
 しかし石黒は嘘でも「わかった」と頷けなかった。
 自分は千歳との約束さえも守れそうにないのだ。これ以上、守れない約束はしたくなかった。
「……それは出来ない」
 琢磨がわずかに目を見開く。
 石黒は兄思いの二人のために、自分の本心を語ることにした。
「俺は君のお兄さんが何を考えているのかわからないんだ。……君は、あの時その場にいなかったから、知らないだろうけど」
 すると拓磨は千歳と同じ笑顔を見せた。
 だんだん、拓磨と千歳、どちらと話しているのか感覚が曖昧になってくる。
「知ってます。兄は医者です。誰よりも自分の仕事に対し真摯に向き合っている。助からない患者より、助かる患者を優先して治療をする。それが身内でも、同じです」
 曇りのない瞳。
 直視出来ずに視線を逸らした。
 言っていることは正論かもしれない。けれど人としての情はないのだろうか。それではあまりにも千歳が可哀相だった。
「水原は確かに医者としては一流だ。けれど人として、その意見には賛同出来ない」
 自分なら、真っ先に家族の元へ駆けつけるだろう。医者は大勢いても、両親の息子は自分しかいない。それに何より自分がそうしたいと思った。
 だから拓磨の言葉は石黒には理解出来ないものだったのだ。
「……千歳は、優しく強い人でした。自分の命が残りわずかだということも知っていました。ある日、兄に言ったんです。自分は助からない、だから自分に使う時間を他の人に使ってほしい、と。自分を助けられないかわりに、他の多くの命を救ってくれと、言ったんです。千歳のはじめての頼みでした」
 石黒はそれを聞いて胸が詰まった。
 十代の少女が言える言葉ではない。
 そう思えるまでに、いったいどれほどの苦しい時を過ごしてきただろう。苦しんで苦しんで、最期に悟ったのだろうか。
「兄は、千歳の最初で最後の望みを叶えただけなんです。だから、これは千歳が望んだ最期なんです」
 こんな話、にわかには信じられない。
 千歳も、水原も、何も言わなかった。
 二人の間でそんな約束を交わしていたなんて……。
「兄は最後まで迷っていました。でも、最期くらい、千歳の好きなようにさせようと、身を裂くような思いで患者さんの所に残ったんです。一番辛かったのは、兄なんですよ」
 言葉もなく立ち尽くす石黒に、拓磨は一枚の薄い紙を渡した。それは石黒が書いた、千歳の死亡診断書だった。
「これが、なんだと……」
 受け取って気がついた。
 綺麗に伸ばされているが、グシャグシャに皺のついた紙。まるで、力の限り握り締めたかのように。
「不器用な人なんです。人に甘えたことがないから、誰かの前で泣くことも出来ない。しっかりしなきゃと一人で全てを背負い込んで、僕たちの前でも涙を見せない」
 破ろうとでもしたのだろうか。
 所々、わずかに破けている。
 ――そんなことをしても、死んだ人は戻らないとわかっているだろうに。
「兄は今日も病院で働いています。千歳との約束を守るために」
 泣き笑いの表情で、拓磨はもう一度、「兄をよろしくお願いします」と言って頭を下げた。


        ――――続――――


2014年10月26日(Sun) | 告げる言葉もなく | TB(-) | CM(0)

告げる言葉もなく・13

 彼は学生時代から人目を引いた。
 誰もがうらやむ美貌を持ちながらも、他人を寄せ付けない高潔な空気を纏う青年。
 水原は出会った頃と変わらない。
 変わらず、穢れを知らぬ子供のように曇りのない瞳をしている。
 ――惹かれずにはいられなかった。
 水原と話していると頭にきてばかりなのに、話しかけることをやめられない。元々、歯に衣着せぬ物言いをする男だから、その遠慮のない言葉に腹が立つのだと思っていた。
 しかし、改めて思い返すと、突っかかっていくのはいつも自分の方だった。
 そう、自分の存在を意識しない水原に、苛々して八つ当たりしていたのだ。
 まるで、小さな子供が好きな子の気を引きたくていじめてしまうように……。
 なぜ、こんなに気になるのか。
 答えはもうそこまで見えている。
 けれどこの気持ちに名前をつけることはためらわれ、ずっと見ないふりをしていた。
 男が男に惹かれるだなんて、あってはならないことだと思っていたから。
 必死に自分の気持ちをごまかしていた。
 けれど、肩の力を抜いて、『水原彰人』という人間のことを考えた時、石黒の胸中にとても複雑な気持ちがわき上がる。
 ありきたりの言葉では表せない、混沌と渦を巻く感情。
 千歳はそんな石黒の抑圧された感情に気づいたのかもしれない。
 痛みを知っている子だから、人の痛みに敏感だった。きっと石黒の『胸の痛み』を感じ取ったのだ。
 だから、石黒に大切な兄を託したのではないだろうか。
 水原を想っている自分なら、何があっても傍に居続けると……。
 石黒にはそう思えてならなかった。

 ――千歳がいなくなって一週間が経とうとしていた。
 石黒は病院の職員通用口の前で、仕事を終えて出てくる水原を待ち伏せていた。
 石黒の今日の勤務は公休だったが、水原と話がしたくて彼の勤務が終わる時間を見計らって、わざわざ病院に出向いてきたのだ。
 そうして定時を少し回った頃、待ち人は姿を現した。
 私服に着替え俯き加減に歩く水原は、声をかけるまで石黒の存在に気づかなかったようだ。
「よお、お疲れ」
「……石黒? どうしたんだ、こんなところで」
 外灯にもたれて立つ石黒を見て、怪訝そうに眉をひそめる。それもそうだろう。こうして病院の外で言葉を交わしたことは、今まで一度もなかったのだから。
「話がしたくて待ってたんだ。車で来てるから乗れ」
「話? 話ならここですればいいだろう」
 いつもと違う石黒の行動に戸惑い警戒しているのか、なかなか車に乗ろうとしない。
「ここじゃあ、ちょっと出来ない話なんだ。いいから乗ってくれ」
 石黒は少々強引に水原を車の助手席に押し込んだ。
 逃げられる前に車を発進させ、夜の街へと車を走らせる。水原は不機嫌そうに眉を寄せていたが、車が動き出すと諦めたのか車内で暴れ出すこともなく、大人しくシートにおさまっていた。
 ラジオも音楽もない、静かな時間。
 互いの息遣いさえも聞こえそうな距離。
 車内には重い空気が漂っていた。
 二人とも口を噤んだまま車で走ること約十分。目的地に到着した。
「着いたぞ」
 降りるよう促すと、水原はしぶしぶ腰を上げ、車外に出た。
「……ここは?」
「駐車場」
「それはわかってる」
 冗談の通じない男は不快そうに口を尖らせた。
 ますます機嫌を損ねたようだ。
 別に隠すことでもないので、石黒は先に立って歩きながら教えてやる。
「冗談だ。ここは俺の住んでるマンションだよ」
「石黒の?」
「ああ」
 何か言いたげな顔をしていたが、水原は大人しく後ろを着いてきた。
 エレベーターで十五階まで上がり、自宅玄関の前で足を止める。鍵をあけ、先に入るよう目配せした。
 意外にも水原は車に乗る時にみせたような警戒はせず、すんなり部屋に上がった。ここまで来たら石黒の言う通りにするしかないと、腹をくくったのかもしれない。
 リビングに通すと、水原は物珍しそうにキョロキョロと辺りを見回した。
「いいところに住んでるんだな」
「そうでもないさ」
 お世辞の言えない男だから、本心からそう思っているのだろう。男の一人暮らしにはもったいない3LDKの室内は、マメに掃除しているので塵一つ落ちてない。
 石黒は水原にソファーを勧めると、キッチンでコーヒーを煎れはじめた。
 対面式のキッチンで、大人しくソファーで待つ水原の横顔を盗み見ながら、石黒は自分の気持ちを再確認した。
 ――本当に綺麗な男だ。
 初めて会った時から、もう十七年。
 その美しさは年月を重ねても曇ることはなく、石黒を惹きつけてやまない。
 年齢相応に歳をとり、十代の時のような瑞々しさはなくなったが、変わりに成熟した大人の色香を漂わせている。
 煎れたコーヒーを水原に手渡しながら、さりげなく隣に腰掛けた。三人がけのソファーだから、男二人が並んでも窮屈には感じない。
「で、何の話なんだ?」
 コーヒーを一口飲むと、水原はすぐに本題を切り出してくる。
 石黒はカップをテーブルに置き水原を見つめた。
「目の下に、クマが出来てる」
 少し疲れを滲ませた顔。
 病院では決して見せない、わずかに気を抜いた表情からは、どこか危うささえ感じる。
「疲れているんじゃないのか?」
 石黒を凝視していた瞳が、フッと緩む。
「どうしたんだ、いきなり。気持ちが悪い」
 何かを隠すように目を伏せる。
 石黒はわずかに距離をつめた。
「泣いてないんだろう? ここには誰もいない。泣けば楽になる」
 膝の上に置かれた細い指に、細心の注意を払って手を重ねる。
 ビクリと反応する身体。
「何を……」
 指先に力を込め、逃げようとする手を握りしめた。
 水原の顔色が変わる。
「離してくれ」
「なぜだ?」
「人に触られるのは嫌いだ」
「そうか」
 指先から震えが伝わってくる。
 ひどいことはしていない。
 手をつないでいるだけだ。
「……なんで、僕を困らせるんだ。あの夜だって……」
 その瞳には、恐怖でも怯えでもなく、ただ困惑の色が浮かんでいた。


           ――――続――――


2014年10月26日(Sun) | 告げる言葉もなく | TB(-) | CM(0)

告げる言葉もなく・14

 人に触られるのが苦手だと言った。それは、人に触れられた経験がないからだ。
 水原が数多くの浮名を流していることは噂で知っている。相手をとっかえひっかえして、誰とも長続きしたためしはない。
 そんなことを繰り返していたから、本当の意味で深く他人と関わったことがないのだ。いや、彼の生い立ちを考えれば、あえてそうしてきたのかもしれない。
 きつい言葉を選び、必要以上に他人を自分の内に入れないように一線を引く。
 本当は繊細な男だから、患者に感情移入しないために、突き放した言葉を使うのだろう。親しい人間にメスを入れることが出来ないほど、優しい男だから。
 ――自分を殺して、人を救っている。
 そうまでして外科医を続けるのは、きっと人間が好きだからだ。
 親を亡くし幼い弟妹を育てる上で、酷いことを言う輩もいたかもしれない。けれどその裏で、彼ら兄弟を助けてくれた優しい人もいたのではないだろうか。
 水原の妹や弟に会い、言葉を交わして、目に見えるものだけが真実ではないと知った。
 彼の事がようやくわかってきたのだ。そして同時に、もっと知りたいと、全てを見せてほしいと思う。
 抱きしめたい衝動に駆られ、石黒は無意識に細い身体を引き寄せていた。
「やめろっ」
 悲鳴のような声が上がる。
 何を言われても離す気はない。
 逃げようともがく身体を力まかせに抱きしめる。
 ひとしきり石黒の腕の中で暴れると、水原はフッと力を抜いた。やがて薄い肩が小刻みに震えだす。
 緊張の糸が切れたかのように、水原は静かに涙を流していた。
「やめてくれ……」
 か細い声で訴える。
「どうして僕にかまうんだ。放っておいてくれっ」
 弱々しく石黒の胸を叩く。黙って彼の言葉を聞いていた。
「僕に優しくしないでくれ……っ。そうでないと、僕は……!」
 その先は嗚咽に混じり、聞き取れなかった。
 石黒は薄い背中を優しく撫でた。全てを許すように、彼の懺悔にも似た言葉を受け止める。
「僕が、殺したんだ。妹を……千歳を、助けられなかった……っ」
 低く告げられた言葉は、石黒の心までも苦しくさせるほど、苦渋に満ちていた。
 やはり彼は心を痛めていたのだ。優しい男は、妹との約束を守るために涙を堪えて患者の前に立ち続けた。こんなにボロボロになっても。
 石黒は目を伏せ、細い身体を強く抱きしめる。そうすることで彼の心に巣食っている苦しみや悲しみが、自分に移ればいいと思った。
「本当は、傍にいたかった……。最期の時まで、手を握っていたかったんだ」
「ああ……」
「でも、僕は医者だから、千歳と約束したから……っ」
 おそらく、水原が初めて本心を吐露した瞬間だった。
 長い間、心の奥底におし込められていた本当の『彼』は、悲痛な声を上げ、傷つき、泣いていた。
「……医者になんて、なるんじゃなかった。そうすれば、千歳の病気のこともわからずに、奇跡を信じられたかもしれない……。何人患者を救ったって、本当に救いたかった人を救えないんだ。死ぬ瞬間も、傍にいられないなんて……」
 水原は石黒にしがみつき、ずっと泣き続けた。そうして、ただただ自分を責め続ける。
 石黒の胸も張り裂けそうだった。少しでも彼の心が軽くなるように、抱きしめる腕に力を込める。
 ひとりじゃない、自分が傍にいると伝えたい。けれどどう言えばいいのだろう。どうすれば彼は救われるのだろうか……。
 石黒のその想いは呟きになって唇から零れ落ちた。
「……俺がもし患者だったら、お前に執刀してほしいと思う」
 本心からの言葉だった。
 技術ももちろん素晴らしいが、何よりも命に対するひたむきな姿を目にし、水原になら命を預けられると思ったのだ。
 たとえ助からなくても、水原ならずっと忘れない。自分のことを、一生忘れないでいてくれる気がした。
 水原はその言葉に顔を上げ、泣き濡れた瞳で石黒を不思議そうに見つめる。
 今、目の前にいる男は、『兄』でもなく『医師』でもない。『水原彰人』という一人の男。
 本当の彼に、初めて触れられた。
 ――心が、震えた。
 石黒はそっと頬に指を滑らせる。
 高潔な瞳に、魂に、引き寄せられるように唇を重ねた。
 初めて味わう口づけは、涙の味がした。


           ――――続――――


2014年10月26日(Sun) | 告げる言葉もなく | TB(-) | CM(0)

告げる言葉もなく・15

※本文は以下に反転してあります↓

 唇を重ねても水原は抵抗しなかった。
 キスを交わし身体を触れ合わせているだけで、次第に下腹部に覚えのある熱が集まり始める。
 石黒はしがみついたまま離れようとしない水原を抱き上げ、寝室に連れて行った。
 予想以上に軽い身体をベッドに横たえ、シャツのボタンを外す。水原は薄暗闇の中、ぼんやりと石黒を見上げていた。
 しかしスラックスを脱がし、石黒が下着の中に手をすべり込ませた瞬間、突如として手足をバタつかせて逃れようと身もだえした。それでも手を止めずに中心を柔らかく揉んでいると、「いやっ、嫌だっ」とうわ言のように言いながらに泣き出してしまう。
 まるで子供が駄々をこねているような力ない抵抗。この拒絶が本気で嫌がってのものか、はたまたベッドの中での駆け引きなのか計りかね、石黒は困惑して手を止めた。
 このまま続行してしまいたい衝動を理性を総動員して何とか抑え込み、のしかかっていた身体をずらしてベッドを降りる。
 水原の本心はわからないが、本当に嫌がっているのなら強引に事を進めて嫌われるのが怖かった。せっかく縮まった距離を台無しにしたくない。
 けれど今、同じベッドにいると、自分が何をするかわからない。ひどいことをしてしまいそうだった。水原をこれ以上傷つけたくない。
 少し離れて頭を冷やそうと思い、ベッドから立ち上がろうとすると、突然背中に飛びつかれた。驚いて振り返ると、水原が悲壮な顔でしがみついている。
「石黒……」
 泣き腫らした赤い目でじっと自分を見つめている。やがて「どこに行くんだ」と小さな声が耳に届いた。
 きっと初めて他人に感情を曝け出したのだろう。甘えたことのない男は、まだ素直に言葉を紡げない。遠まわしな言い方だったが、石黒には「行かないで」と全身で叫んでいるように見える。
 石黒は自分に縋りつく男を愛しいと心から思った。
 身体をひねり、額に口づけを落とす。
 水原の肩がピクリと震えた。
「俺にキスされるのは嫌か?」
 水原は少し考えた後、首を振る。
「嫌じゃない」
 ぽつりと呟きが返ってきた。
 怖がらせないように気をつけながら、向かい合う形でベッドに横になる。
 水原は石黒のシャツの裾を握って放そうとしない。
 見上げる瞳は不安そうに揺れている。日頃目にしている彼からは想像もつかない姿に、石黒は庇護欲をかき立てられる。
 頬を優しく撫で軽いキスを繰り返し与えると、甘えるように身体を擦り寄せてきた。そのまま石黒の胸元に顔を埋め、クンクンと匂いを嗅ぎ出す。子犬が母犬に甘えるような仕草に胸が甘くうずく。
 我慢できなくなって、細い身体を両腕で抱きしめた。
 水原の体温を意識すると、理性で押さえ込んでいた欲望が再び頭をもたげ始める。しばしそれに耐えていたが、それもすぐに限界をむかえた。
 薄い唇に、やや強引にキスをする。
 驚いて身体を引こうとしたが、それをやんわりと押しとどめ、何度も触れるだけの口づけをした。
 しばらくすると水原はその行為に慣れたのか、徐々に身体から力を抜いていく。石黒は反応を伺いながら舌を口内に忍び込ませた。
 消極的な舌を絡めとり、むさぼるために深く唇を合わせる。時間をかけて口内を愛撫してやると、やがてその動きに答えるように水原も舌を絡めてきた。
 頭の芯が甘く痺れ、かつてない高揚を感じる。
 それは彼も同じだったのか、石黒は太腿に固い感触を感じて唇を離した。水原の瞳は熱に浮かされたように潤んでいる。互いの唾液で濡れた唇がひどく卑猥だった。
 彼もちゃんとキスで感じてくれたのだと思うと、嬉しくてたまらない。
 石黒は彼の足の間に自分の膝を割り込ませ、勃ちあがった中心に刺激を与える。
 その瞬間、水原の身体は跳ね上がり、シャツを握る指がギュッと収縮した。
「ん……っ」
 頭をゆるく振って甘い刺激に耐えている。
 石黒はさらに刺激を加えた。しつこく擦っていると、そこは完全に硬く勃ちあがる。
 そろそろと手を下ろし、その部分を手の平で包み込む。
「いやだっ」
 腕を突っ張り、石黒を遠ざけようとする。
 しかし拒絶を示すはずの声には甘い響きが混ざっていた。
 石黒は身を屈め耳元で囁く。
「どうして? 何が嫌なんだ?」
 ウィークポイントの耳を責められ、水原は真っ赤になって背中を震わせる。
「……恥ずかしいから、嫌なんだ」
 その一言は石黒の下半身を直撃した。
 恥らう姿に、わずかに残っていた理性が吹っ飛ばされる。
 石黒の中心もまた、限界まで張り詰めていく。
「じゃあ、こうすれば恥ずかしくないだろう?」
 くるりと水原の身体を反転させ、背中から抱え込む体勢を取る。
 後ろから手を伸ばし、水原の熱くなった中心に触れた。
 下着の中に手を入れ、ゆるゆると指を動かす。
「んっ……、やっ、あ……っ」
 水原が頭を動かすたびに、柔らかい髪からいい香りが漂う。その匂いであの夜の記憶が呼び覚まされた。
 初めて彼を意識した夜。
 自分から手を出しておきながら、自分の衝動を水原のせいにした。
 ――認めたくなかったのだ。
 好きだと自覚しても、水原相手では報われないだろう。辛いだけの恋なら、気付かない方がいいと思ったのだ。
 けれど、今は違う。
 彼の全てを知りたくて、肌を重ねている。
 もう、自分の気持ちに嘘をつきたくなかった。
「やめっ……、あ、あっ……っ!」
 手の平に熱い衝撃。水原は達していた。
 予想以上の早さに少々驚きながら、余韻に身体を震わせる水原の耳にキスをした。
「よかったか?」
 赤い顔がますます赤くなり、水原は近くにあった枕に顔を埋めた。その姿がなんとも可愛らしく、ついつい意地悪をしたくなる。



          ――――続――――


2014年10月26日(Sun) | 告げる言葉もなく | TB(-) | CM(0)

告げる言葉もなく・16

 感情を解き放った水原は、普段とまったく違う顔を見せた。背負っていた重荷を捨てた男は、頼りなく弱い。
 そんな彼が肩肘張って周りを牽制していたのは、そうせざるをえなかったからだ。誰にも弱味を見せられないほど、辛い人生を歩んできたのだろう。


※続きは以下に反転してあります。


※反転です↓

 ――全てを受け止めたい。
 彼を傷つける全てのものから守ってやりたい。
 石黒は白い滑らかな背中にそっと唇を寄せる。
 警戒させないように注意しながら、右手を腰の下へと滑らせ、後ろの蕾に触れた。薄い身体が跳ねる。
 水原は枕から顔を上げ、心配そうにこちらを振り向いた。
「大丈夫。ひどいことはしない」
 優しく微笑み、唇をついばむ。
 それと同時に指先をそっと蕾に差し入れた。彼の放ったもので濡れた指先は、思ったよりもすんなり飲み込まれていく。
「あっ!」
「大丈夫」
 水原が身体を強張らせるたびに宥めすかしながら、徐々に指の数を増やしていく。
 そうして充分にほぐれたところで、滾った切っ先を入り口にあてがった。
 自分よりもふたまわりは細い腰を抱え込み、ゆっくりと身を沈めていく。
「あぁっ」
 逃げようと跳ねる身体をしっかりと抱き、腰をすすめる。水原が動くたびに蕾が収縮し、石黒を締め付けた。
「い、やだぁっ……、はっ……」
 指とは比べ物にならない質量に、水原は悲鳴を上げた。自分の身に何が起こったのかわからず、パニックになっている。
「くっ……!」
 痛いほどの締め付けに石黒の顔が歪む。
 それに耐えながら、泣き叫ぶ水原に優しく声をかけ続け、どうにか根元まで埋め込んだ。
 ふう、と息をつくと、腕の中で小刻みに震えている身体を両腕で抱きしめる。
「やめろ……っ」
 水原はその手を振り解こうともがいたが、石黒は落ち着くまでじっと動かなかった。
 そのままの姿勢で、届くところすべてにキスを送る。特に耳を執拗に攻め、萎えかけた中心も握りこみ、丁寧に愛撫を施す。
 しばらくそうしていると、水原の口から甘い吐息が上がり始めた。
「ん……、はぁっ」
 石黒の手の動きに連動して、蕾がキュッキュッと絞まる。
 水原の中は、今まで体験したことがないくらい、心地よかった。甘い締め付けだけで達してしまいそうになる。
 石黒は水原の様子を窺いながら、ゆっくりと腰を動かした。
「んっ……、あぁっ」
 体内で動く熱い楔に、水原が息を呑む。
 後ろを突きながら、同時に中心もしごいてやると、悲鳴のようだった声が快感を表す嬌声に変わる。
 石黒は前立腺にあたる部分を太い切っ先で集中的に攻めた。
「あぁっ……、やっ、あ……っ」
 突くたびに、先端から蜜が溢れてくる。身体から力が抜け、石黒の動きに合わせて揺れている。
 前も後ろも、互いの先走りで濡れそぼり、グチュグチュと卑猥な音を響かせた。
「あっ、ん……、やっ」
「気持ちいい?」
 ガクガクと揺さぶられながら、何度も頷く。その答えに安堵し、いっそう激しく攻め立てた。
「だめっ、あ……んっ!」
「くっ……!」
 食いちぎられそうなほど強く締め付けられ、堪えきれずに解き放つ。指が食い込むほど腰を掴み、深く自身を差込んで最奥に射精した。ほぼ同時に水原の中心も爆ぜる。
 痙攣する蕾に最後の一滴まで注ぎ込むと、荒い息を吐きながら水原を抱きしめた。
 放心している男の耳元で、「俺がずっと傍にいる」と囁くと、水原は顔を歪ませ泣き出した。
 子供のように泣きじゃくる男に愛しさがつのり、壊れそうなほど強く、強く抱きしめた。



          ――――続――――




2014年10月26日(Sun) | 告げる言葉もなく | TB(-) | CM(0)

告げる言葉もなく・最終回

 翌朝、石黒がベッドの中で目覚めると隣に男の姿はなかった。
 慌てて寝室を飛び出しリビングへ向かうと、ダイニングテーブルで新聞を読みながら優雅にコーヒーを飲んでいる水原を見つけた。
「おはよう」
「あ、ああ……」
 石黒に気づいた水原が顔を上げ、短くあいさつをしてきた。
「コーヒー、もらったぞ」
 いつもの口調で淡々と話しかけられ、石黒は戸惑ってしてしまう。
 すっかり自分のペースを取り戻している男を見て、昨夜の出来事は夢だったのではないかと思い始めた。
 とりあえず石黒もコーヒーを淹れ、悠々と朝刊をめくる水原の向かいに腰を下ろす。
 何か言うべきだろうと思うのだが、声をかけるタイミングがつかめない。仕方なくコーヒーを黙って飲み干した。
 水原もコーヒーだけの朝食を終えると、新聞を綺麗に畳んでテーブルに置きイスから立ち上がった。
 水原は石黒の姿など見えていないかのように、無言で部屋を出て行こうとする。その姿に違和感を覚えた。いつもは背筋を伸ばし颯爽と歩くのに、今日は不自然なほど動作がゆっくりしている。その辛そうな様子こそが、昨夜の出来事が夢じゃないと物語っていた。しかし水原は昨夜のことに触れようともしない。
 石黒は何も言えず、玄関まで水原を見送るため席を立った。
 ――この部屋から出てしまえば、全てがなかったことになる。
 きっと二人の関係は、以前と変わらないものになってしまうだろう。
 それでも自分は彼を求めることをやめられない。どこにいても彼の姿を探してしまう。
 だが水原は、石黒の気持ちなど考えもせず、平然と前と変わらぬ生活を送る気がした。
 それも仕方がないことだと、自分に言い聞かせる。
 ――大人になって、臆病になった。
 責任のある仕事をし、職場での人間関係も良好だ。計算や打算で動く時もある。
 それが大人になったという証だと思っていた。大人として、当たり前のことだと……。
 だから、それが出来ない水原に反発していたのだ。
 今の生活を失うのが怖くて石黒には出来なかったことを、いとも簡単にやってのけてしまう男に、嫉妬していたのかもしれない。
 水原は、良くも悪くも正直で、損得で動くことのない人間だった。
 彼の隣にいると自分がどんなに小さい人間かを意識させられる。
 それを否定するために、執拗に彼に突っかかったのだ。
 水原からしたら、いい迷惑だっただろう。
 いや、自分のことなど全く気にしていなかったかもしれない。
 水原は確固とした信念を持っている。
 それ以外の煩雑なことはどうでもいいのだ。
 ――けれど、彼を愛してしまった。
 石黒はグッと拳を握った。
 ここで動かなければ、何も変わらない。変えるには、自分が行動を起こさなければ……。
 意を決して水原に声をかけようとした時、背を向けていた男がふいに振り返った。
 じっと石黒を見つめ、薄い唇を開く。
「もし僕が不治の病にかかったら……」
 突然、何を言い出すのかと訝しんでいると、強い瞳がわずかに揺れた。一呼吸置いて、もう一度言い直す。声が少し震えていた。
「もし不治の病にかかったら、僕も君に看取ってほしいと思う」
 水原はそれだけ告げると、さっさと部屋を出て行ってしまった。けれど、ドアが閉まる寸前に見えた耳は、いつかのように真っ赤に染まっている。
 石黒はしばらく呆気に取られていたが、その言葉に込められた意味を理解した時、思わず笑みをこぼしていた。
 ――本当に、難しい男だ。
 たったこれだけのことを言うのに、震えるほど緊張していた。
 遠まわしにしか想いを口に出来ない、どこまでも不器用な男。そんな彼が愛しくてたまらなかった。
『好き』や『嫌い』では計れない。
 適切な言葉をつけられない、強い想い。
 彼もまた、同じ気持ちを抱いてくれていたのだ。
 俺たちはお似合いじゃないか、と呟き、石黒はますます笑みを深くした。
 



         ――――終――――


2014年10月26日(Sun) | 告げる言葉もなく | TB(-) | CM(0)

告げる言葉もなく~あとがき~

長々とお付き合いくださり、ありがとうございます。
以下に反省点や制作秘話などを書いていきます。




さて、きっと誰も求めていないでしょうが、『告げる言葉もなく』の制作秘話なんぞを……(^ ^ ;)


まずは反省点。
これはいっぱいありすぎるのですが、一番失敗したな、と感じたのが構成です。
ブログにアップした後に気づいたのですが、始まりのシーンが『カンファレンス』でいがみ合うエピソードで、次の場面転換したシーン(始まりのシーンから数日経ってます)も『カンファレンス』についてのシーン……。
これ、一緒にした方が良かったように思います。
わかりづらいですよね(^ ^ ;)

次にお詫び。
チョイチョイ反転してしまってスイマセン(> <)
めんどうですよね(+ o +)
なぜ反転してしまったかと言いますと、それはただ私がチキンなだけでございます(; ;)
全てを曝け出す勇気が持てませんでした……。
スイマセン(> <)

最後に、制作秘話などを。
この話を思いついたのは、歯医者さんで。
普段はとても優しく温厚で、コタツのことを『おこた』と言う先生。
ですが、私の歯の神経を抜く時、事件が起こったのです。
なんか、全然神経が抜けなかったようで、15分、30分……、と時間だけが無情に過ぎていき、次の予約の患者さんの治療にまで影響が出てしまったようです。
次第にイライラし始める先生と衛生士さん。私もずっと口を開けているのでアゴが疲れます。
そうして、私の神経と格闘することおよそ45分。
この頃になると、先生もイライラがピークに達していたようです。
たぶん、やっと神経を掴めたらしいのですが、あと一歩のところで抜けきらないらしく……。
あの先生の口から、イラついたため息&「くっそ」という呟きが……(汗)
同時に衛生士さんも重~いため息ついてました。
――――私の歯神経がご迷惑をおかけしてスイマセン!! 状態でしたよ(^ ^ ;)
その後も何度もトライし、そのたびにため息をつかれました……。
で、1時間経った頃にようやく抜けたのですが、私を含め三人とも疲労困ぱい(; ;)
……と、いうことが何年か前にあり、これがきっかけで思いついたのが『告げる言葉もなく』です。
皆さん、「え? どこらへんを参考にしたの?」と思われるでしょう(笑)
あのですね、普段は優しい先生が、イラついて「くっそ」と言ったところで閃いたんです!
ギャップ萌えです(笑)
作中にもちゃんとそのシーンを盛り込んであります。
石黒が千歳の急変時に、「くそっ」と言うシーンがありましたよね? あれです(笑)
ようはその一言が書きたいがために作った話。
私がストーリーを思いつく時って、こういうのがけっこうあります。
ちょっとした一言から話を作っていくことが多いのです。


以上、すごくどうでもいい裏話でした(^ ^)


2014年10月26日(Sun) | 告げる言葉もなく | TB(-) | CM(0)