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終わらない夢の中で~はじめに~

この小説は、相も変わらず主人公は医者です(笑)
どんだけ医療モノばっか書くんだって感じですね(- . -)
先日、昔の原稿を見直していたら、9割がた医療モノで自分でもビックリしました!
もっと話の幅を広げないといかん(> <)
……少し脱線しましたね(^ ^ ;)

今回のカップリングは、循環器内科医×患者。
一応、年下攻です。
なぜ『一応』なのかと言うと、受を年上に設定してみたけど、それが活かせなかったから……という理由からです。
別に攻が年上でも特に問題はなかったのでしょうが、単に私の趣味で受を年上にしたような記憶があります(笑)
そしてテイストはセンシティブ……もどき。
何も意識せずに書きたい話を書いて、出来上がってみたらセンシティブっぽくなってたという代物です。

120枚前後の短い話ですので、前回同様、サラッとお読みいただければと思います(^ ^)
よろしくお願いします。

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2014年10月26日(Sun) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)

終わらない夢の中で・1

 半分ほど開けた窓の隙間から、薄紅色の花弁がヒラヒラと空を泳いで手元に落ちる。
 窓の外に目を向けると、今が盛りと咲き誇る桜の大木が見えた。
 ――桜を見ると蘇る思い出。
 あれからもう三年の月日が流れているが、こうして瞳を閉じれば一つも色あせることなく、瞼の裏に鮮明に映し出される。それはこの先も変わらないだろう。
『先生は、もし明日、世界が終わってしまうとしたら何をしたいですか』
 あの日、投げかけられた幼稚ともいえる質問。しかし、この問いの裏にある事実に気付いた時、その重さゆえに答えが出せなかった。当時の未熟だった自分の姿までも思い出し、苦笑してしまう。
 有沢はゆっくりと瞳を開けると、読みかけの医学誌に落ちた桜の花びらにそっと触れた。その瑞々しい感触が心地良く、花びらを残したまま雑誌を閉じる。
 ――自分にそう問うた彼は、笑っていた。
 今しがた余命宣告を受けたばかりだというのに、子供じみた夢を語ると、とても綺麗に微笑んだのだ。



 ――三年前。
「有沢、ちょっと」
 午前中の外来診療を終えて医局に戻る途中で、指導医の片平に手招きされた。
「はい、なんでしょう?」
「これから患者さんに告知をしに行くんだが、お前、やってみるか」
「俺が告知するんですか?」
 有沢は驚きに目を見開く。
「ああ。俺が告知してるところは何度か見てるだろ。医者をやってれば避けては通れない道だ。俺も一緒に行ってやるから、今回はお前が話してみろ」
「……わかりました」
 診療を終えてホッとしていた気分は一気に暗転する。先輩から言い渡された仕事は、有沢が最も苦手とする類のものだった。
「はあ……」
 思わず零れたため息を聞きとがめて、片平が眉根を寄せる。険しい視線を送られ、慌てて丸くなっていた背筋を伸ばした。
 これから自分のしなければならない重責を考えると、それだけで胃が痛くなる。無意識に腹に手を当てる有沢を見て、片平が呆れた顔をした。
「有沢、お前もうインターン終えて二年目だろ。告知のたびにそれでどうするんだ」
「すみません……」
 先輩に叱咤されて、良く言えば優しい、悪く言えば気が弱い有沢は謝るしかなかった。
 有沢正人は、今年二十八歳になる循環器内科医だ。大学付属の病院で勤務している。
 癖のない黒髪は仕事柄襟足にかからないようにカットし、薄い唇と優しげな二重の瞳は、見る者にさわやかな印象を与える。
 仕事に容姿、そして親は地方で開業医をしているので家柄も良い。第一印象で女性から好感を持たれることは多いのだが、何度かデートをすると、決まって振られてしまう。彼女たち曰く、優しすぎてつまらないのだそうだ。
 五つ年上の片平は、振られ続ける有沢を見て、「お前は押しが弱すぎるんだ」と説教をしてくるが、かく言う彼も恋人が出来ても長続きしていない。
 片平はがっしりとした体格で顔立ちも悪くないのだが、その大雑把な性格が災いして女性からは敬遠されがちなようだった。
「で、本題だが、ちゃんと告知の仕方、考えてるんだろうな」
「はい。向井さんのことは片平先生と一緒に俺も診察させていただいてるので、病状も頭に入ってます」
「言われなくてもわかってるとは思うが、慎重にな」
 何事においても豪傑で些細なことは気にしない片平でさえも、告知には細心の注意を払っている。特にこれからムンテラ(病状説明)を行う患者はまだ若く、告知にはより慎重を期さなくてはならない。
 告知の内容を頭の中で整理しているうちにカンファレンスルームに到着した。緊張しながらノックをして室内に入る。中にはすでに患者の向井と、担当の看護師の姿があった。
「お待たせしました」
「よろしくお願いします」
 主に患者や家族へのムンテラを行う八畳ほどの部屋は、全く飾り気がない。真ん中に長方形の机と、向かい合わせに二つずつパイプイスが並べられているだけだった。
 近年では電子カルテが主流なため、机の上にはカルテの代わりに一台のノートパソコンが置かれ、レントゲンや他の検査結果もこれで見られるようになっている。
 有沢は向井と対面する席に腰を降ろし、片平もその隣に座った。机から一歩下がった位置に、看護師がメモ帳片手に立っている。
「今日は片平先生に代わって、私が説明をさせていただきます」
 有沢はパソコンの画面に向井のカルテを呼び出しながら口火を切った。数回の操作で現れたカルテに目を通してから、覚悟を決めて顔を上げる。
「向井さんは……」
 呼びかけたところで、ふと口を閉ざす。
 そういえば、こうやって向井と視線を合わせて話をするのは初めてだった。いつも片平の後ろに控えていたので、この時ようやく彼――向井健吾が、本当に若い男なのだと実感した。


          ――――続――――


2014年10月26日(Sun) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)

終わらない夢の中で・2

 カルテに表示されている年齢は『三十二歳』。知っていたことなのに、こうして顔をつき合わせると、自分と同年齢くらいにしか見えない。どうしてだろうと考えて、向井の髪型が原因だと思い至った。
 向井は元々色素が薄いのか、茶色い髪を肩につくほど伸ばし、前髪を額の中央で分けている。瞳は髪よりワントーン暗いこげ茶で、人形のように睫毛が長い。『美人』という形容詞がぴったりの男だった。
 ただ一つだけ残念なのは、小さめの唇は病気のためか血色が悪く、肌も白を通りこして青白かった。
 思わず彼の美しさに見入っていると、横から片平に脇腹を小突かれる。ようやく我に返った有沢は、ごまかすように咳払いを一つすると、気を取り直して再び口を開いた。
「ええと、向井さんには現在、投薬を中心とした治療を行っています。通院で様子をみていたのですが、自覚症状が出現してきたので、入院して経過をみさせていただきました。いくつか検査をしたのですが、その結果、心不全が悪化していることが判明しました」
 向井は先天的に心臓に疾患があった。そのため過去に三度手術を行ったが、二年前に慢性心不全と診断され、外来通院で投薬治療を行っていた。 
「入院中も色々と薬を調整してみましたが、現時点であまり効果が得られていません」
「はい」
 向井は表情を変えずに頷く。眉一つ動かさない向井は、まるで綺麗な人形のようだった。
 有沢は自分とそう歳の変わらない患者を前に、これから言うべき言葉の重さを思って心を痛める。
「……残念なのですが、内科的治療では、これ以上の回復は望めないでしょう」
 なるべくショックを与えないように、言葉を選んでそう告げた。やや遠まわしな告知だったが、向井は言葉の意味を正確に読み取ってくれたようだ。
 静かな声音で率直な質問をされた。
「余命はどのくらいですか」
「……はっきりとは、わかりません」
 有沢は彼のためを思い、無難な回答を口にするしかなかった。
 おそらく今の状態だと、彼の命はあと半年。けれど、まだ若い男に短い余命を正直に伝えるのは気が引け、曖昧に言葉を濁した。
「知りたいんです。先生、教えてください」
「ですから、はっきりと『いつ』とはわからないんですよ」
「お願いします」
「向井さん……」
 容姿に似合わぬ強さで食い下がられ、助けを求めるように片平に視線を送る。片平は「教えてやれ」というように、小さく顎をしゃくった。先輩の承諾を得て、有沢は重い口を開く。
「正確なことはわかりません。ですが、おそらく……半年」
 事実を口にしながら、有沢は向井の様子を窺った。取り乱すかと危惧していたのだが、予想に反して彼は冷静だった。
「わかりました。我がままを言ってすみませんでした」
 こちらが驚くほど淡々とした口調。
 悲しみも憤りも、驚きさえも表に出さず、ただ事実を受け入れているように見えた。
 その潔い姿に感服すると同時に、違和感を覚える。
 しかし経験の浅い有沢は、その理由を追求することは出来なかった。
「では、これでムンテラは終わりますが、何か聞きたいことがありましたら、いつでも声をかけてください」
 有沢の締めの言葉で一同はいっせいに立ち上がり、ドアに向かう。
 余命宣告という重責を果たし、安堵しながら皆の後に続いて部屋を出ようとする。すると前を歩いていた向井がふいに足を止めて振り返り、危うくぶつかりそうになった。
 なんとか衝突を回避した有沢は、かなりの至近距離に彼の体温を感じて一歩後ろへ下がる。
「あの、どうかしましたか?」
「質問してもいいですか」
「え、ええ。どうぞ」
 聞きたいことがあるのなら、片平もいるところでしてほしかった。しかし頼りの指導医は、看護師と雑談をしながらすでに廊下の角を曲がって視界から消えている。
 どうか一人でも答えられる内容でありますように、と心中で祈りながら、目の前に立つ頭一つ分身長の低い男の言葉を待った。
「先生は……」
 言葉と共に向井が俯けていた顔を上げ、視線が交わった。向井は、近くで見ても美しい顔立ちをしている。関係のないことで感心した。
「先生は、もし明日、世界が終わってしまうとしたら、何をしたいですか?」
「え……?」
 投げかけられた予期せぬ質問に戸惑う。
 目を白黒させる有沢を見て、向井は初めて表情を動かした。体温を感じさせない人形のような男は、この場に不釣合いなほどの、美しい笑顔を見せている。
「先生、僕は恋がしたいです。一度でいいから、恋がしたい」
 綺麗な向井の笑顔はやっぱり綺麗で、けれどその美しさが、さらに有沢をやりきれない気持ちにさせる。
 恋愛は特別なものではないと思っていた。有沢自身も周りの友人たちも、ごく自然に恋をしていた。
 しかし、生まれたときから重い病を抱え、明日をも知れぬ日々を送ってきた向井は、生きるだけで精一杯だったのかもしれない。
 恋をすることさえ、出来なかったのだろう。
 ――彼の命の期限は半年。
 あまりにも短い。
 向井の心中を慮って胸を痛めていると、ふとある妙案が閃いた。


       ――――続――――


2014年10月26日(Sun) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)

終わらない夢の中で・3

 伝えるべきかどうか一瞬迷い、しかし気がつくと口が動いていた。
「なら、俺としましょう」
「え?」
 彼はキョトンとして、小さく首を傾げた。
 有沢は勇気を出して、向井の華奢な手をそっと握る。
 向井は突然手を取られ、困惑した様子で握られた手と有沢を交互に見やっていた。
 有沢は深く息を吸い込み、彼のこげ茶の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「俺と、恋をしましょう」
 はっきりと言葉にして伝えると、向井がとても驚いた顔をした。
 常識で考えれば当然の反応だ。
 有沢と向井は、これまで親しく言葉を交わしたことはない。
 向井の主治医はあくまで片平で、有沢は勉強の一環として、彼の治療に関わっただけ。片平のサポート的な仕事しかしていなかった。
 ――もしかしたら、とても無神経なことを言っているのかもしれない。
 いくら『恋がしたい』と言われたからって、同性の患者に交際を申し込むなんて、自分でもどうかしてると思う。
 それでも、彼の最後の望みを叶えてやりたいと思ったのだ。
 けれど当の向井は、大きな目を限界まで見開き硬直している。
『お前は熱意はあるのに、それが結果に結びつかないな』
 有沢の脳裏に、以前指導医に言われた言葉が蘇った。
 あれはいつだったか……。
 確か、まだ入局して間もない頃だ。
 有沢あてに患者の家族からクレームがきた。
 ある高齢の患者が、肺炎を起こして入院してきた時だ。経過は順調で、二週間もすれば退院できる状態だったのだが、有沢は退院を延期したのだ。理由は、リハビリをさせたかったから。
 しかし家族にいくら説明しても納得してもらえず、それどころか、退院を延期させているのは入院費を搾り取りたいからだとまで言われてしまった。
 結局、リハビリの途中で患者は退院することになった。
 良かれと思ってしたことを否定され、有沢は落ち込んだ。
 そんな時だ。うな垂れる有沢に、片平が声をかけてきたのは。
「お前は本当に熱意はあるのに、それが結果に結びつかないな」
 真実を言い当てられて、俯くしかなかった。
 しかし片平の言葉には続きがあった。
「一生懸命やっても報われない。そんな時もあるさ。でも百回に一回くらいは、努力が実を結ぶときがある。その一%を見るために、俺は医者を続けてるのかもしれないな」
「……じゃあ、残りの九十九回の努力は、無駄になるってことですか?」
 気分が沈んでいたので、揚げ足を取るようなことを言ってしまった。我ながら可愛げのない言い草だったと思う。
 しかし片平は気分を害した様子もなく豪快に笑うと、有沢の背中を音がするほど叩いてきた。
「残りは『勉強』だと思え。一回に繋げるための勉強。その方が結果を出したときに喜びが増す」
 ――たった一回のために、九十九回もの努力を重ねる。
 だから恐れずに正しいと思ったことをしろ、と言いたかったのだろう。
 あの時から、有沢も一%のために積極的に仕事に取り組んでいる。指導医である片平に見守られながら、患者のために様々な視点を持つようにし、行動を起こすようにしていた。
 でも、やはり一%までの道のりは長く険しい。大抵は空回りして終わる。
 ――今回もまた失敗か……。
 馬鹿にするなと怒鳴られるかもしれない。同情なんかしなくていいと言われるのかも……。
 いずれにしろ、自分は間違ったのだ。
 有沢は自分の浅はかな考えに落ち込み、繋いだ手を離そうとした。
 すると向井に離れかけた手を逆に握り返される。
「はい。よろしくお願いします」
 一瞬、何を言われたのかわからなかった。
 かなり突拍子もない提案をしたと思うのに、なぜか向井は笑顔だった。
 今度は有沢のほうが激しく困惑してしまった。しかし向井が手を握ったまま嬉しそうに微笑んでいるので、理由を問うことも申し出を取り下げることも出来なくなる。
「……こちらこそ、よろしくお願いします」
 戸惑いながらも有沢は深々と頭を下げた。
 顔を上げて改めて見つめ合うと、なんだか妙に照れ臭くて、ごまかすように二人で笑っい合った。
 ――とても奇妙な恋の始まり。
 でも彼が笑ってくれたので、きっかけなどどうでも良くなる。医師にとって、患者の笑顔を見ることは何よりも嬉しいことだから。
 ふと窓の外を見ると、新しい恋人たちを祝福するかのように、桜が満開に咲き誇っていた。



           ――――続――――


2014年10月26日(Sun) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)

終わらない夢の中で・4


 美しい恋人が出来た。
 大変喜ばしいことなのだが、相手は同性でしかも患者。
 今まで男と付き合ったことのない有沢は、実際に付き合うといっても何をしたらいいのかわからず、頭を悩ませていた。
「とりあえず、メールしてみるか」
 勤務終了後の医局で、携帯電話を片手に独り言を呟くと、地獄耳の片平が過敏に反応した。
「なんだ、女か?」
「違います」
「いいや、絶対、女だろ」
 嘘はついていない。女じゃなくて、男なのだから。
 けれど、どんなに「違う」と言っても片平は納得しない。結局、根負けしてメール相手は向井だと白状した。
「向井? 向井って、患者の向井さんか?」
「ええ、そうです。昨日退院した向井健吾さんですよ」
 告知を受けて、向井は自宅療養を希望した。出来るだけ以前と同じ生活を続けたいとのことだった。
 そして昨日、向井は病院スタッフに見送られ、自宅アパートに帰っていった。
 まがりなりにも恋人が退院したのだから、お祝いでもしようと考えていたが、昨夜はあいにくの当直当番。今夜あたり埋め合わせをしないと、と思い携帯を取り出した矢先に片平に見つかってしまったのだ。
「お前ら、いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」
「え、ええっと、退院する少し前です」
「……ふうん、そうか」
 片平は何か言おうとして、結局それ以上は追求せず、何事もなかったかのように医局を出て行った。
 詮索されずにすんでホッとしながら、『仕事、終わりました』と簡素なメールを打って送信する。鞄に荷物を詰めて、帰り仕度をしている間に返信が入った。
『お疲れさま。僕も今、帰宅途中です』
 内容を確認し、再び携帯を操作する。
『向井さんもお疲れさま。これから時間があるようなら、どこかで食事でもしませんか?』
 向井からは承諾のメールが返ってきた。
 待ち合わせの場所を決め、有沢は鞄を片手に急ぎ足で病院を後にする。
 夕方の帰宅ラッシュにかぶる時間だったため、指定した駅前も人でごった返していた。
「お待たせしましたっ」
 向井は先に到着していた。
 人ごみをかきわけて駆け寄ると、彼は病院では目にしたことのないスーツ姿だった。
「大丈夫です。そんなに待ってないから」
「よかった。じゃあ行きますか」
 男同士で洒落たレストランに入る勇気はなく、近くの居酒屋目指して歩き出した。
 すると背後から含み笑いが聞こえて、有沢は怪訝に思い振り返る。向井が口元を手で覆って、笑いを堪えていた。
「どうかしましたか?」
「いえ、さっきのやり取りが……、恋人みたいだなと思って」
「『恋人みたい』って、あなたは俺の恋人なんでしょう」
 この不確かな関係を示唆する言葉にドキリとしながらも、そつのない言葉を口にする。
「そうなんだけど、『そんなに待ってない』ってセリフ、恋人同士の待ち合わせの定番でしょう? 実は一度、言ってみたかったんです。まさか叶うとは思ってなかったけど」
「確かにベタな会話だったかもしれませんね」
「でしょう? でも実際に自分が言うと、照れくさいってことがわかりました」
 向井はまた小さく笑った。そんなに笑うようなことでもないと思うのだが、彼が楽しそうにしているから良しとする。
 すぐに目的の居酒屋に到着し、待つことなく座敷に通された。有沢はビールを、向井はウーロン茶を注文し、飲み物を待つ間につまみを選んだ。
「とりあえず乾杯しておきましょうか」
 テーブルに運ばれてきたグラスビールを手に持ち、有沢がそう提案する。
 深い意味はなかったのに、向井は期待した顔でグラスを持ち上げた。
「『初デート』に乾杯します?」
「デ……っ」
 ここは普通に「仕事お疲れさま」でいいのでは、と思いつつも、向井がしたいならと、初デートに乾杯した。
「向井さんは図書館で働いてるんですよね」
 料理が運ばれてくるまでの間、メールを通して聞いていた仕事のことを話題にする。正直、男同士のデートでどんな会話をしたらいいのかわからなくて、当たり障りのない話を持ち出した。
「ええ、そうです。昔から本が好きだったので、その延長で本に携わる仕事を選んだんです。単純でしょう?」
「そんなことないですよ。好きなことを仕事にしてるんだから」
「じゃあ有沢先生は? どうしてお医者さんになったんですか」
「俺? 俺も似たようなもんですよ。親が医者だったってこともあるけど、単純に人が好きで、人を救う仕事をしたかったからです。向井さんと一緒で、自分の好きなことを仕事にしたんですよ」
 事実をそのまま口にしただけなのに、向井は面食らったような顔をした。そして数秒後に嬉しそうに微笑んだ。
「有沢先生は、素敵な考え方をされるんですね」
「は?」
「だって、普通は司書の仕事とお医者さんの仕事を同列に言わないですよ。医師になる方がはるかに難しいし……」
 仕事に優劣などないと有沢は考えている。どんなに腕の良い医者だろうが、なんとなく流されて医者になったような者よりも、誇りを持って仕事をしている者の方が素晴らしいと思う。職種に関わらず、だ。
 そう有沢が伝えると、彼は眩しいものを見るように目を細め、「よかった」と呟いた。
 ――あなたが恋人になってくれてよかった、と。
 その言葉に胸が不自然に脈打ち、何とも言えない温かい気持ちが広がった。
 過去に何人かの女性と付き合い、その中で同じような言葉を言われたこともある。けれど、それは有沢の内面を見てというより、有沢の持つ肩書きを指してのものが多かった。
 外側だけじゃなく、内面を見てくれる人。
 それが出来る彼こそ、心根が澄んだ人だと思った。
「先生?」
 黙りこんだ有沢を心配したのか、向井が不安そうに表情を曇らせて覗き込んでくる。
 綺麗なこげ茶の瞳に見つめられ、いっそう胸の鼓動が早くなる。
「き、気にしないで下さい。料理、冷めちゃいますよ、食べましょう」
 赤くなった顔をアルコールのせいにしてしまおうと、半分ほど残っていたビールを一気に飲み干した。
 ――まさか、な。
 目の前でだし巻きたまごを頬張る『恋人』を見つめる。
 とても綺麗な『恋人』。
 でも『恋人のふり』をしているだけのつもりだった。
 確かに綺麗な顔をしていて身体つきも華奢だが、彼はれっきとした男性なのだ。
 ――気のせい……だよな?
 きっと疲れているところにアルコールを飲んだからだ。酔って正常な判断が出来なくなっているに違いない。
「あ、これおいしい。先生も食べてみてください」
 つまみを口に運んでにっこり笑う向井。
「……いただきます」
 差し出された皿に箸を伸ばした時も、まだ胸の動悸は治まっていなかった。


          ――――続――――


2014年10月26日(Sun) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)

終わらない夢の中で・5



「最近、機嫌がいいな」
「そうですか?」
 有沢が病棟での急変対応を終えて医局に戻ると、今夜の当直である片平がカップ麺を啜っていた。二十二インチのテレビに映し出されているのは、夜のニュース番組だ。
「『そうですか』って……。ごまかしてるのか? それとも本気で気付いてないのか?」
「俺はいつも通りですよ」
 医局には片平と有沢しかいない。
 日勤帯の終わり間近で担当患者が急変したため、有沢だけがこの時間まで残って仕事をしていたのだ。ちなみに当直の片平はその時、救急車で運ばれてきた別の患者の診療にあたっていた。
 窓の外はすでに真っ暗で、他の医師は皆帰宅している。
「なんか良いことでもあったのか」
 片平は話し相手が欲しいのか、はたまたただ暇なだけか、座っていたイスのキャスターを転がして有沢のデスクまで移動してきた。
「女が出来たのか」
「違いますよ」
 いつぞやと同じ会話が繰り返される。片平は口を開けば女の話ばかりする。
 以前までなら少し煩わしいと感じていたのに、今は誰かに話したい気分だった。
 日頃の気安さから、気がつくと口に出していた。
「向井さんです。仲良くなって、最近よく二人で遊んでるんですよ」
 すると途端に片平が渋い顔をした。
 なぜだろうと考えて、特定の患者と親しくなったことが問題なのかもしれないと思い至る。
「なんて言うか、話してみたら気があって……。患者さんというより、友人として付き合ってるんです」
 慌てて言葉を足したのだが、片平はますます険しい表情になる。胸の前で腕を組み、何事か考えはじめた。
「……お前、ちゃんとわかってるんだろうな」
 たっぷり時間をおいた後、真面目な顔で言われた。
「『わかってるんだろうな』って、何がですか?」
「だから、向井さんが患者だってことだ」
 やはりそこが引っかかってるのか。
「わかってますよ。向井さんとは親しくしてますが、他の患者さんをないがしろにはしていません。仕事とプライベートは切り離して考えてます」
 きっぱりと断言したのだが、片平はなぜか頭を横に振ってため息を零した。
「だから、違うんだよ。そういう意味じゃなくて……」
 そこまで言いかけた時、片平の院内用のピッチが鳴り出した。
 聞き耳を立てていると、どうやら病棟からのようで、状態が悪化した患者の診察を依頼されているようだった。
 まだ話は終わっていなかったが、片平が病棟に行くと言うので、共に医局を出る。
 エレベーターに乗り込む片平を見送っていると、硬い表情で念を押すように繰り返し言われた。
「有沢、向井さんは患者なんだぞ。もう一度、その意味をよく考えろ」
「はあ」
 少々しつこいと感じ、気のない返事をする。片平は「わかってないな」と呆れたように呟いてエレベーターの扉を閉めた。
「言われなくてもわかってるさ」
 誰もいなくなったロビーで一人ごちていると、上着にしまった携帯電話が鳴った。一件メールが入っており、差出人は向井だった。
 名前が表示された画面を見ただけで心が弾み、有沢は素早くメールを開く。
『これから僕の家に来ませんか?』
 たったこれだけの短いメールだったが、有沢は何度も文面に視線を走らせる。
「初めてのおうちデート……」
 口に出すと無意識ににやけてしまい、慌てて周囲を見渡す。悪いことをしているわけではないが、人に見られたらバツが悪い。
 誰もいなかったことに安堵しつつ、携帯を見るたびに顔が笑ってしまう。
 有沢は歩調を速めて病院を後にし、教えてもらったばかりの住所に向かって歩き始めた。

 病院から電車で五駅、そこから徒歩十分。そう遠くない距離が、もどかしく感じられる。
 急ぎ足でアパートにたどり着くと、深呼吸してインターフォンを押す。待ちかねていたかのように、ドアはすぐに内側から開いた。
「おかえり。早かったね」
「メールもらった時、ちょうど帰るところだったんだ」
 まるで新婚のような会話に、またも顔がにやけてしまう。
 すすめられるまま玄関を上がり、リビングに通される。ソファーに座るとすぐにコーヒーが出てきた。
「夕飯はもう食べた?」
「いや、まだ」
「僕もこれからなんだ。口に合わないかもしれないけど、夕飯作ったから一緒に食べない?」
 これぞおうちデートの醍醐味。
 恋人の手料理に舌鼓を打っていると、向井が思い出したように立ち上がった。
「あ、忘れるところだった。先生が前に観たいって言ってた映画のDVD、借りてきたんだ」
 いつぞやの他愛ない話を覚えてくれていたことに感動する。
 ほとんど食べ終わっていた食器を片付けると、二人並んでソファーに座り映画に集中した。
 しかし有沢は始まってすぐに、仕事の疲れからかウトウトしてしまう。襲ってくる睡魔と格闘したが、結果は惨敗だった。
 向井に身体を揺すられて飛び起きた時には、すでにエンドローグに差し掛かっていた。
「うわ、ごめん」
 せっかく借りてきてくれたのに、申しわけなくて有沢が謝ると、向井は笑って許してくれた。
「毎日仕事で疲れてるんでしょう。気にしないで」
 怒るどころか、反対に身体の心配までされて、向井の優しさに胸が熱くなる。
「あとであらすじ教えて」
 映画を見直すよりも、彼と話がしたくてそう言うと、向井は困ったように笑った。
「……実は僕も途中で寝ちゃったんだ」
 二人して顔を見合わせて笑い合う。
 彼と過ごすこういう時間がとても好きだと思った。



          ――――続――――


2014年10月26日(Sun) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)

終わらない夢の中で・6

 その後も取り留めのない話をしていると、気がついた時には終電近くになっていた。
「あ、そろそろ帰らないと」
「ああ、遅くまでつき合わせちゃったね」
 向井は時計を見ると、少し残念そうな顔をした。もっと一緒にいたいと言われているようで嬉しくなる。いっそ泊まってしまおうかと思ったが、さすがにそこまで図々しくなる勇気はなかった。
 食事の礼を言ってアパートを出る。
 駅に向かって見慣れぬ住宅街を歩いていると、メールの受信音が鳴り響く。予想通り、向井からだった。
『今日はありがとう。正人と話してると楽しくて、時間を忘れてた』
 書いてある内容も有沢を上機嫌にさせたが、それよりも名前を呼ばれたことに驚く。
 今までは『先生』だったのに、初めて下の名前で呼ばれた。
 ドクン――と。
 胸が高鳴った。
 不意打ちを食らって顔が熱くなる。
 ――声が聞きたい。
 有沢はたまらなくなって、一度もかけたことのない電話番号を呼び出し、通話ボタンを押す。
「もしもし。……いきなりは反則。びっくりした」
 電話の向こうで彼が笑う気配がした。
『付き合ってる感じがしていいでしょう』と言ってまた笑う。
 ――やられた。
 自分よりも年上の男性。
 それなのに向井はとても純粋で、子供のような無邪気さを持っていた。
 幼少期より入退院を繰り返していたからだろうか、纏う空気が今まで出会った誰とも違う。穢れていないとでもいうのだろうか。
 けれど浮き世離れしているかと思いきや、社会人としての常識も備えていた。
 そこがまた彼の魅力なのだ。
「うん、じゃあまた。……おやすみ、健吾さん」
 囁くように、有沢もまた、初めて彼の下の名前を口にした。
 途端に恥ずかしくなり、道端に座り込む。
 早鐘を打つ心臓の音が聞こえてくる。
 通話の切れた携帯電話を両手で握り締めると、赤くなった顔に押しつけた。
「初恋じゃないんだから……」
 無意識に呟いた自分の言葉に気付かされた。
 ――ああ、なんだ。
 そういうことか。
 自分の気持ちにつける名前をようやく見つけ、有沢は声を出して笑った。
 もう、『恋人のふり』じゃなくなっていた。
 これはまぎれもなく、『本物の恋』なのだ。



 付き合い始めて二ケ月。
 有沢は色々な場所に彼を連れて行くようになっていた。
 言い出すのは大概、彼の方からで、好奇心旺盛というのだろうか、今までやりたくても出来なかったことを片っ端からリクエストしてくる。ただ幸い、向井の『やりたいこと』はどれも他愛ないもので、有沢にも容易に叶えられる願いばかりだった。
「今度、水族館に行きたい」
「どこの水族館?」
「どこでも。今まで一度も行ったことがないから」
 向井は天涯孤独だった。
 下の名前で呼ばれることに慣れ始めた頃、向井に家族のことを尋ねた。別にたいした理由があったわけじゃない。ただ、なんとなく振った話題だった。
 正確には両親とも健在らしいのだが、彼は父方の祖母に育てられたと教えてくれた。
 彼は両親にとって初めての子供で、生まれてくることを心待ちにされていたらしい。けれど、生まれた子供は重度の心臓病を抱えており、そのまま長期の入院生活を余儀なくされた。
 命にかかわる手術をし、ようやく退院しても他の子供と同じように遊べない。身体が弱く、少し熱を出すだけで両親は慌てて病院に連れて行かなくてはならなかった。
 先に母親が向井の元を去ったという。次に父親も仕事を理由にして、彼を祖母宅に預けて会いにも来なくなった。
「常に注意を払っていないといけない子供だったんだ。二十四時間、気の抜けない生活に、きっと疲れたんだろうね」
 家族の話をする向井の口調は静かだった。
「小学校に上がる前に預けられて、祖母と二人で生活してた。祖母は気の強い人でね、大抵の人は僕の病気を知ると、腫れ物に触るように接してくるのに、祖母は違ったんだ。子供の頃、『病気のせいで学校に行けない。だから友達が出来ないんだ』って泣いたことがあって、そうしたら祖母に『病気のせいじゃない。健吾が男のくせに泣き虫だから、仲間に入れてもらえないんだ』と叱られた」
 昔を思い出したのか、向井は懐かしむような目で遠くを見つめ、口元に笑みを浮かべる。
「甘やかすのは簡単だ。でも祖母は僕のためを思って叱ってくれたんだと思う。僕はそんな強くて優しい祖母が大好きだったんだ」
『だった』、という過去形が気にかかる。話の先を予想して、有沢の表情も沈痛なものになった。
「その祖母も、僕が高校を卒業する年に亡くなってしまって、それからはずっと一人だった」
 当時の気持ちが蘇ったのか、彼は寂しそうに視線を伏せる。
 悲しげな様子に、考えなしで家族の話を持ち出した自分を責めた。思い返せば、彼が入院中、家族が見舞いに来たことは一度もなかった。緊急連絡先に父親らしき男の名前は書いてあったが、大事な治療の話をする時も彼はいつも一人だったのだ。
 何と声をかけたらいいのか迷っていると、向井が顔を上げた。
「でも、今は一人じゃない」
 澄んだ瞳の中に映っていたのは、自分の姿。
 向井は視線が合うと、柔らかく微笑んだ。
「今は正人がいる」
 だから大丈夫だと、照れ臭そうに続けた恋人が愛しくて、有沢はありったけの力を込めて抱き締めた。
「……苦しいよ」
 文句を言いながらも、抱き返してくる腕が愛しい。
「これからは、俺がずっと傍にいるから」
 耳元で誓いをたてると、向井は黙って腕の力を強めた。


 
      ――――続――――


2014年10月26日(Sun) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)

終わらない夢の中で・7

 向井は病気だったこともあり、また連れて行ってくれる人もいなかったので、あまり遊びに出掛けたことがないという。
 だからいっぱい行ってみたいところがあるのだと言い、有沢がどこへでも連れて行くと告げると目を輝かせた。
 そして、本日の彼からのリクエストは水族館。
「一度、水族館に行ってみたかったんだ。大きな水槽で色んな魚が泳いでるんでしょう? イルカのショーも見てみたいんだ」
「イルカか。じゃあ、今日は水族館に行こうか」
「今から?」
「まだ昼前だろ。大丈夫」
 驚きつつも嬉しそうな向井と共に、水族館に行った。
 彼はまるで子供のようにはしゃいでいて、広い館内を隅から隅まで歩いて回る。
 放送でショータイムのお知らせが流れると、急いでプールに向かった。ダイナミックに泳ぐイルカに、向井の目は釘付けになっている。心の底から楽しんでいることがわかり、有沢も嬉しくなった。
 だが、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。気が付くと五時を回っていた。
「さて、そろそろ帰ろうか」
 イルカも見たし、館内の水槽も制覇した。帰る前に土産物売り場へ立ち寄り、土産を物色していると、ふと隣に向井の姿がないことに気付いた。
 どこに行ったのだろうと周囲を見回すと、彼はぬいぐるみの置かれたコーナーの前で難しい顔で立ちつくしている。
「真剣な顔でなにを見てるんだ?」
 向井の視線の先にあったのは、イルカのぬいぐるみ。
 どうやらとてもイルカが気に入ったらしい。
「買うの?」
 ぬいぐるみを前にして悩んだ顔をしているので、どれを買おうか迷っているのかと思ったが、向井は首を左右に振った。
「いや、買わない」
「どうして? 欲しいんだろ」
「……三十路過ぎた男が、ぬいぐるみ買ったらおかしいだろ」
 それ以前に、ぬいぐるみコーナーに長時間居座っている時点でアウトだと思うのだが、彼が真面目に言っているのがわかったので、あえて指摘しないでおく。
 結局、向井は名残惜しそうにぬいぐるみから離れると、職場に持っていくクッキーだけ買った。
 帰る前にトイレに寄ると言うので、有沢は一人になった隙を見計らって、手の平に乗るくらいの小さなイルカのぬいぐるみをこっそり購入した。
「お待たせ。……どうして笑ってるんだ?」
 渡した時の喜ぶ顔を想像して、口元が綻んでしまう。
「いや、別に。帰ろう」
 悟られぬよう慌てて取り繕い、駅へ向かう。
 電車に揺られている間も、駅からアパートまで歩いている最中も、いつプレゼントを渡そうかと考えていた。どんなタイミングが一番喜んでもらえるか、脳内でシュミレーションしているうちに、アパートに着く。
 向井に続いて部屋に上がり込み、コーヒーを淹れに彼がキッチンに消えたところで、素早く袋からぬいぐるみを取り出した。
 ――その時だ。
 キッチンから食器が割れる音が聞こえてきたのだ。
 嫌な予感がして、有沢は急いでキッチンに向かう。そうして床に蹲っている向井を見つけ、血の気が引いた。
「健吾さんっ」
 辺りにはマグカップの欠片が飛び散っていたが、かまっている余裕はなかった。背中を丸めて座り込んでいる向井に、大股で近寄る。
「どうしたんだっ」
「大丈夫、ちょっと疲れただけだから……」
「本当に?」
「うん、年甲斐もなくはしゃいだから、疲れたみたい」
 心配をかけまいとしてか、向井は顔を上げて笑顔を見せる。その顔はいつも以上に青白く、無意識に胸元に当てている手も気にかかる。
「もしかして、心臓が?」
「……いつものことだから」
「『いつも』?」
 向井が一瞬だけ、しまった、という顔をした。
「まさか、こういう発作がたびたびあるのか?」
 問いただす口調が強くなる。
 向井は「失敗したなあ」と困ったように笑った。その一言で、自分の懸念が当たっていたことを悟り、動揺した。
「とにかく、横になって休もう」
 動けない向井を抱き上げ、寝室に運ぶ。ベッドに横たえると手首をとって脈を確かめた。
 ――早い。
 頻脈だ。それにリズムも不整。
「病院に行こう」
 ここでは検査も治療も出来ない。
 とりあえず病院に連絡しておこうと立ち上がると、シャツの裾を引っ張られた。



        ――――続――――


2014年10月26日(Sun) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)

終わらない夢の中で・8

「病院には、行きたくない」
「でも……」
「少し休めば治まるから」
 いくら有沢が言っても、向井は頑としてきかない。仕方なく有沢が折れた。
「少し休んで、それでも良くならなかったら病院に連れていくからな」
 有沢はベッドの端に腰を降ろし、もう一度、脈拍を確かめる。
 はじめは早かった脈も、時間が経つにつれ落ち着いていき、十五分ほどで発作は治まった。心底安堵する。
「ほら、言った通りだろう」
 まだ青い顔をしながら、彼は冗談めかして勝ち誇ったように言った。
 けれど有沢は、軽口を笑って流せない。固い表情で、ベッドから起き上がれない彼を
見下ろす。
 ――二人で色んな場所に行った。
 彼は目を輝かせて自分を見つめ返してくれる。その顔が見たくて、向井の願いを叶え続けてきた。とても平穏で、幸せな日々。
 ――だから、この日まで忘れていた。
 片平に、退院した後も向井に会っていると告げた時、繰り返し言われた言葉の意味。あれだけ言われたのに、ちゃんと考えようともしなかった。
 ――彼は患者だ。
 あと数ヶ月しか生きられない。
 彼と過ごす毎日が想像以上に楽しくて、辛い現実を忘れていた。
 向井は一度も身体の不調を訴えたことはなかったが、もしかしたら体調不良を隠して無理をして笑っていたのかもしれない。
 ――なんて愚かなんだ。
 有沢は自分を責めずにはいられなかった。
 彼を残し、黙って寝室を出る。リビングには、渡しそびれた可愛らしいイルカのぬいぐるみがあった。
 帰ってくるまでは、確かに幸せだった。
 ぬいぐるみを渡した時の顔を想像し、楽しくて仕方なかった。
 ――魔法使いにでもなった気でいた。
 何をしても彼が驚き喜んで笑ってくれるから、勘違いをしていたのだ。
 どんなに楽しませても、喜ばせても、現実は変わらない。
 向井の命は残り少ないままで、有沢は魔法など使えない、ただの無力な医者だった。
 有沢は自分自身に腹が立ち、苛立ちまぎれにぬいぐるみを乱暴に掴み上げる。
「こんなもの……!」
 そのまま手を振り上げ、床に叩きつけようとした。
「正人?」
 その姿を寝室から出てきた向井に見つかってしまった。気まずく視線を逸らすと、彼は手に握られたぬいぐるみの存在に気付いたようだ。
「それは?」
「…………」
「それ、イルカのぬいぐるみだろう?」
 向井は有沢の手からぬいぐるみを取り上げると、嬉しそうに微笑んだ。
「買ってくれたんだ」
 満面の笑み。この顔が見たかったはずなのに、今は直視出来ずに視線を逸らす。
 複雑な表情を浮かべて押し黙る有沢に、彼が笑顔のまま近づいてきた。
「本当に、嬉しいよ」
 言葉と共に、少し背伸びをした向井の唇が触れる。
 初めてのキスだった。
 一瞬で柔らかい唇の感触は離れ、彼は照れたように頬を染める。
「ファーストキスだ」
 ぬいぐるみを腕に抱き、くすぐったそうに肩をすくめる。恥らう姿に喜びと愛しさが込み上げたが、それ以上に切なさでいっぱいになり、気が狂いそうだった。
 ――唐突に、理解した。
 彼は、運命を受け入れているのだ。
 幼い頃からの闘病生活の中で、そう長くは生きられないと悟っていたのかもしれない。
 だから余命を宣告をされた時も、微塵も取り乱さなかったのだ。
 ――強い人だと思っていた。
 どんな時も真っ直ぐ前を向いている姿に惹かれた。
 けれど今はその強さが恨めしい。
 運命を受け入れて、闘うことを放棄しないでほしい。どんなに無様でもいいから生きるためにあがいてほしかった。
 ――失いたくない。
 医師の立場から言えば向井のような生き方もあると理解出来る。
 しかし一人の男としては、恋人に生きていてほしかった。
 有沢は彼の腕を乱暴に引いて抱き締めた。
その厚みのない身体に不安が募る。
「……また一つ、夢が叶った」
 ポツリと向井が呟く。
 現実の残酷さを目の当たりにし、有沢はもう、一緒に笑ってやることが出来なくなっていた。



           ―――――続――――


2014年10月26日(Sun) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)

終わらない夢の中で・9

「向井さんを助けたいんです」
 彼を助けようと決意し、あれから寝る時間を割いて、あらゆる医学書を読み漁った。しかし一週間経っても二週間経っても、時間ばかりがいたずらに過ぎていき、救う手立ては見つからない。
 手詰まりになった有沢は、指導医である片平に相談を持ちかけた。
「向井さんか……。あとどのくらいだ?」
「あと、三ヵ月です」
 言葉にするだけで胸が張り裂けそうになった。残された時間は短いのだと嫌でも思い出してしまう。
「そうか。あのな、有沢。もし救う方法があるのなら、余命宣告なんかしてない。手の打ちようがないから、本人にも伝えたんだ」
「でも、何かあるんじゃないでしょうか」
「お前の気持ちはわかるが、俺たちは医者で、神様じゃない。救えない命もあるんだ」
 そんなこと、嫌というほどわかっている。しかし感情がついていかないのだ。どうしても諦めきれない。
 有沢が返す言葉も見つからず唇を噛み締めて立ち尽くしていると、片平が嘆息した。
「だから言っただろう。俺たちには越えてはいけない一線っていうのがあるんだ」
 片平は諭すように告げると医局を出て行ってしまった。
 ――越えてはならない、一線。
 それは『医師』と『患者』の関係。
 医師は患者とは適度な距離を置かなければならない。患者に思い入れが強すぎると、感情に流されて冷静な判断が出来なくなるからだ。
 ――そう、今の自分のように。
 有沢は拳を握り締めると自分のデスクに座り、広げっぱなしだった医学書を捲る。
 ――医師として、失格なのかもしれない。
 しかし何と言われようと諦めるつもりはない。
 あと三ヵ月しかないのだ。こうしている間にも彼の命のタイムリミットは迫ってきている。
 有沢はその後も一人で治療法を探し続けた。
 焦っていたのだと思う。彼を失うかもしれないということが怖くてたまらなかった。
 彼を救う術を探すことしか頭になく、そのため向井の誘いを断ることも多くなっていた。
 急に会う回数も減り電話もしなくなったから、きっと向井は寂しい思いをしていただろう。けれど仕事が忙しいと言うとそれ以上、我がままを言うこともなかった。
 とはいえ、有沢は大学病院の勤務医で、向井以外の患者も受け持っている。他の患者を放っておくことも出来ないので、勤務終了後に医局に残り、時には泊り込みで治療法を探し続けた。
「おはようございます。その後お変わりないですか?」
 そんなある日、病棟で回診をしていると、担当患者の一人が有沢の顔を見て目を瞠った。
「先生、どうしたんだ?」
「なにがですか?」
「すごく顔色が悪いよ」
「……そうですか?」
 これで有沢の顔色の悪さを指摘してきたのは三人目だ。さすがにここ一週間ほど満足に寝ていないからだとは言えず、曖昧に笑ってごまかす。
「そういえば少し痩せたか? 上司にこき使われて疲れが溜まってるんじゃないか」
「はは、そんなことないですよ」
 寝ている時間などないのだ。
 けれどそうした無茶な生活をしているためか、有沢の顔からは覇気がなくなり、患者よりもやつれてきていた。
「昔から言うだろ、『医者の不養生』って。ちゃんと身体を休めないといかんよ。先生が倒れたら誰がオレたちの面倒みるんだ」
 その忠告は耳に痛かった。
「肝に銘じておきます。じゃあ、胸の音を聴かせてもらいますね」
 話を切り上げたくて診察に集中する。
「うん、不整脈も治まってるようだし、この調子なら二、三日中に退院できそうですね」
 お大事に、とお決まりのセリフを口にして逃げるように病室を後にした。
 何かに取り付かれたように毎晩、遅くまで残って調べ物をしている有沢を見て、他の医師や看護師たちも不審な目を向けてくる。自分を心配してのことだとわかっていても、「大丈夫か」と言われるたびに、正直わずらわしいと思ってしまう。
 調べても調べても、何も出てこない。この一ヶ月、唯一わかったことといえば、向井の病状がとても深刻だということと、ほとんど治る見込みがないということだけだ。
 午前中の回診を手早く終え、医局に戻ろうと病棟の廊下を歩いていると、ナースステーションでカルテを書いていた片平に呼び止められた。
「お前、ちゃんと休んでるのか?」
 寝不足で隈の出来た顔を見咎められて、片平に詰問口調で問いただされる。
「休んでますよ」
 鋭い視線に耐えられなくて、目を逸らしながら早口で答えると、片平が顎をしゃくってカンファレンスルームを示した。先に立って部屋に入られて、仕方なく後を追う。
「お前、最近おかしいぞ」
 イスに座ると単刀直入に片平が切り出した。
「おかしいって、何がですか?」
「顔色も悪いし、仕事にも集中しきれてないだろう」
「そんなことないです」
 片平の的を射た質問にもあくまで白を切り通す。
 やがてそんな有沢の態度に焦れたのか、片平がテーブルを思い切り叩いた。
「嘘をつくな!」
 あまりの剣幕に、有沢は言葉を失い呆然とする。



       ――――続――――


2014年10月26日(Sun) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)

終わらない夢の中で・10

 片平に怒鳴られたのはこれが初めてだった。気の長い指導医をそこまで怒らせたのだとようやく悟り、有沢は気まずく顔を俯ける。
「……お前はまだ向井さんの治療法を探しているのか」
「はい」
 向井のことで相談を持ちかけたのは片平だけだった。有沢の答えがわかっていたのか、片平は間を置かずに続ける。
「なら、もう治療法はないとわかっただろう」
「…………」
「有沢、どうなんだ」
 おそらく片平の言っていることは正しい。しかし容易に頷くことは出来なかった。
 現時点で向井を救おうとしているのは自分だけ。自分が探すことをやめたら誰も彼を救えない。救おうとすらしないだろう。
 医者が匙を投げてしまうほど、彼の病状は重い。
 ――それでも。
 有沢はゆっくりと顔を上げると、強い眼差しで指導医を見据えた。
「俺は医者です。だからこそ、彼の病状がとても深刻で手の打ちようがないということもわかってます」
 有沢はそこでひとつ息をつくと、でも……、と続けた。
「でも、奇跡を信じたらいけませんか? 助かるって、希望を持つことは悪いことでしょうか。もし悪いことだと……、医者にとって余計な感傷だと言われるのなら……。俺は医者を辞めます」
 有沢は本気だった。本気で辞めてもいいと思った。誰かを救いたいと強く思うことさえ許されないのなら、この仕事をしている意味はない。
 身動ぎもせずに見つめていると、片平がフッと息をついた。
「有沢、今日はもう帰れ。帰って充分な睡眠をとるんだ」
「嫌です」
 即答すると片平は頭を横に振った。
「お前が倒れたら向井さんが悲しむだろう。今日くらい、ゆっくり休め」
「俺に休んでる時間はないんです。あの人には、もう時間が……」
 有沢が言い募ると、片平が遮るように声を上げた。
「だから、お前が休んでる間は俺が調べてやるって言ってるんだ。今日は俺にまかせて、お前は帰って寝ろ」
「……手伝って、くださるんですか?」
 片平の言葉が、にわかには信じられなかった。
 思わず聞き返すと、片平は照れ隠しのように頭を乱暴に掻いた。
「本当なら、『諦めろ』って言うべきだろうな。でも誰にだって、どうしても救いたいって思う患者がいるんだ。……俺にもいたよ。だからお前の気持ちはよくわかる。俺の場合はどんなに手を尽くしても駄目だったから、お前にも俺と同じような辛い体験をさせたくなかったんだ。これでも指導医として、お前には目をかけてやってるんだぞ」
「片平先生……」
「とにかく、今のお前に必要なのは休養だ。わかったら早く帰れ。そして明日からまた頑張ればいい」
 言いたいことはそれだけだ、と片平は立ち上がり、すれ違いざまに有沢の肩を激励するように力強く叩いた。いつも自分の前にある見慣れた後ろ姿が、とても大きく頼もしいものに感じる。
「ありがとうございます……っ」
 有沢は言葉にしきれない感謝を込めて、片平が見えなくなるまで深く頭を下げ続けた。

 協力者が現れた安心感もあり、久しぶりに熟睡した有沢は、翌日から片平と二人で治療法を探し始めた。
 一人で考えているよりも二人の方が意見交換も出来るし効率も良い。なによりも味方が出来たことが心強かった。
 そうして半月が過ぎた頃、有沢は出勤するなり片平に呼ばれた。
「これ、見てみろ」
 興奮ぎみに差し出されたのは、雑誌に掲載された論文のコピーだ。日付は数年前のものだったが、英語で書かれた論文を読み進めるうちに手が震え出した。
「これ、本当に載ってたんですか?」
 論文の内容は、向井と同じ心臓病患者の手術方法についてで、おそらく論文を書いた医師が発案したものだろう。
 とても難しい術式だったが、これが実現できれば向井を救えるかもしれない。
「マイナーな雑誌に掲載されたものだったから、中々見つからなかったんだ」
「この論文を書いた『アキト・ミズハラ』って、日本人ですか?」
 内科と外科の違いはあれど、同じ心臓を扱う医師。けれど、これほどのオペを行える外科医なのに、聞いたことのない名前だった。
「ああ、日本の病院で働いている医師だ。俺も水原先生の名前は昔どこかの学会で少し耳にしたくらいだが、オペの腕は一流だと評判だった。どうも大学病院で教授とやりあったらしい。それで出世の道を絶たれて、今は市民病院で働いてるそうだ。日付からみて、この論文は大学病院を辞めた後に発表したもののようだから、そのせいもあってあまり注目されなかったんだろう」
 たまに教授とそりが合わずに病院を去る医師もいる。水原もその一人だったということだろう。
「腕は確かなんですよね」
 たとえ水原が人間的にどんな人物であろうと、今一番重要なのは彼の技量だ。
「ああ、そのはずだ。実はすでに昨日、水原先生と電話で話して向井さんのことは伝えてある。一度診察して、可能なら手術をしてくれるそうだ」
「本当ですかっ」
「嘘なんかつく必要ないだろ」
 片平がニッと笑った。
「……じゃあ、助かるんですね」
 彼に残された時間はあと二ヵ月あまり。諦めずに探し続けてよかった。
 先の見えなかった暗闇に一筋の光が差し、有沢は歓喜に震えた。
 嬉しくて嬉しくて、込み上げる喜びを抑えきれずに、目の前の片平に抱きつく。
「お、おい」
 片平はいきなり抱きつかれて、うろたえた声を上げる。
「ありがとうございます! 俺だけじゃあ、彼を救えなかった。片平先生が指導医で本当によかったです」
 彼より腕の良い医者はたくさんいる。循環器内科に入局したとき、同期には片平より優秀な指導医がついた。その時は羨ましく思ったものだが、今は彼の下で働き、教えを受けることが出来てよかったと心から思う。
 片平は平凡な内科医だ。しかし彼には誰にも劣らぬ才能がある。
 それは、『患者のために努力し続ける』ということ。
 意外と照れ屋なので大袈裟に口に出して言わないが、陰で努力していることを知っている。根は熱い男なのだ。この人のような医者になりたいと改めて思った。
「先生、本当にありがとうございます……!」
 感謝と敬愛を込めてハグしていると、たまたま通りかかった看護師に異様な眼差しを向けられた。有沢はその後、冷たい視線に気付いた片平に思い切り頭を叩かれたが、不思議と痛みは感じなかった。



         ――――続――――


2014年10月26日(Sun) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)

終わらない夢の中で・11


 ――彼を救える。
 朗報を胸に、久しぶりに向井のアパートを訪れた。
「正人……」
 連絡もなしに突然現れた有沢を見て、向井はなぜか安堵した顔をした。しかし早く話したくて仕方ない有沢は、それの小さなサインを見逃してしまった。
「連絡もしないで、いきなり来てごめん。聞いてほしい話があるんだ」
「話?」
 飲み物を用意しようとキッチンへ向かう彼の腕を取り引き止めると、ソファーに座らせる。触れた瞬間、わずかに彼がビクリと身体を震わせたが、さして気にとめなかった。
「……話って、なに?」
 有沢も隣に腰掛け、なぜか緊張した面持ちの向井を見つめながら、上機嫌で告げた。
「健吾さんの病気を治す方法が見つかったんだ」
「病気を……治す……?」
「そう、治るんだ。片平先生が論文を見つけてくれて……」
 有沢は興奮ぎみに水原のことを伝えた。
 てっきり彼も喜んでくれると思っていたのに、話し終えて向井の反応を待っていると、彼は視線を逸らし下を向いてしまう。
「健吾さん?」
「……僕が、いつそんなことを頼んだ?」
「え?」
 何を言われたのかすぐには理解できず呆けていると、向井は見たことのない硬い表情で睨みつけてきた。
「君の様子がおかしいことには気付いてた。電話をしても返事は上の空だし、メールの返信も遅い。たまに会っても、君はいつも何か考えていて、僕の話なんか聞いてくれなかった。でも、仕事が忙しいって言うから、寂しくても不安でも、我慢したんだ! 今日だって、別れ話をされるのかと思って、とても恐かった」
「別れるなんて、俺は考えたこともない」
 自分のとった行動を、向井がそんな風に捉えていたとは思ってもいなくて有沢は慌てて弁解する。
「俺だって健吾さんに会えなくて辛かったよ。でも、それもこれも、健吾さんのためを思って……」
「だから、僕がいつそんなことを頼んだっ?」
「いつって……」
 普段は穏やかな向井が激昂する姿を前に、困惑しつつも言葉を探す。
「確かに、口に出して言われたことはないけど、健吾さんだって、助かるのなら助かりたいと思ってるだろ?」
 向井はもどかしそうに髪を掻き混ぜると、有沢が一番聞きたくなかったことを口にした。
「僕は、小さい頃から病と闘ってきた。外で元気に走り回って遊ぶ同年代の子を見るたびに、どうして自分は病気なんだろうって考えていたよ。でも、長い時間をかけて僕はそういう運命なんだって、病を受け入れることができた。だけど、やっぱり闘病生活は辛くて苦しい。……だから、あと半年で死ぬってわかった時はホッとしたんだ。これでようやく、楽になれるんだって」
 有沢は息を呑んだ。
 今まで一度として語られることのなかった彼の胸の内。
 初めて打ち明けられたそれは、とても悲しい言葉だった。
「そんな話、聞きたくない」
 有沢は耳を塞ぎたくなった。
 ここを訪れたときの高揚感はすでに消し飛んでいる。変わりに今、有沢の胸にあるのは、怒りのような悲しみ。
 けれど彼は制止を聞かず、さらに先を続けた。
「でも、死ぬ前にやりたいことはたくさんあったんだ。残りの人生くらい、好きに生きようって決めた。……そして、正人と出会った。『恋をしよう』って言ってもらって、僕がどんなに嬉しかったかわかる? 君と恋人になって、たくさん話をして笑って、今まで出来なかったことをして、行きたい場所に行って……。この四ヵ月間が僕の人生で、一番幸福な時間だった」
「健吾さん……」
「でも君は突然、連絡を寄越さなくなった。僕は絶望したんだ。幸せなまま死ねると思っていたのに、最期はやっぱり一人きりなのかって」
 向井は言葉を切ると、悲しそうに微笑んだ。その瞳に、ちゃんと自分は映っているのだろうか。手を伸ばせば届く距離にいるはずなのに、彼の存在はひどく危うく不安定で、有沢は焦燥感にかられる。
 まるで幻想の世界で生きる人のようにあいまいな存在を、少しでも現実に引き止めたくて言葉を紡ぐ。
「……俺は、あなたに生きてほしい。この先も一緒にいたいんだ」
「僕にとっては生きることよりも、残りの時間を君と過ごすことの方が重要なんだ。だから君にも治療法を探すために時間を使ってほしくなかった。ただ僕の傍にいてほしかった」
 向井が綺麗な顔を歪ませ、澄んだ一粒の涙を零す。
 初めて見る涙。彼は一度も泣いたことはない。
 死を宣告された時も取り乱すこともなく、気丈に前を向いていた。
 そんな彼が今、静かに涙を流している。
「……ごめん」
 涙を止める術がわからず、有沢は何かに突き動かされるように向井を抱き締めた。



         ――――続――――


2014年10月27日(Mon) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)

終わらない夢の中で・12


「俺は何もわかってなかった」
 彼の答えはくつがえらない。
 病に苦しんだ分、考える時間を人よりも長く与えられ、長い時をかけて出した最期の答え。
 ――彼の人生だ。彼の生き方を尊重したい。
 でも……。
 有沢は自嘲を禁じえない。いくら考えても、結局は同じ答えにたどり着いてしまう。
 ――どこまで、身勝手なのだろう。
「……ごめん、健吾さん。やっぱり無理だ。どうしても諦めきれない。好きなんだ。あなたがいなくなったら、俺はこの先どう生きたらいいのかわからなくなる」
「正人……」
 今まで、こんなに気持ちを込めて名前を呼ばれたことはない。切なくて上手く息が出来なくなる。
 有沢は出会った頃よりも薄くなった身体を、いっそう強く腕に抱く。
「もし健吾さんが少しでも俺のことを愛してくれているのなら、俺の我がままを許してほしい」
 腕の中で向井が息を詰め、全身を戦慄かせた。そして震える拳で有沢の胸を叩いてくる。
「そんなことを言われたら、僕は拒めないじゃないか……っ」
「うん。ずるいってわかってる。でも、俺の一生に一度の頼みをきいてほしい。俺のために手術を受けて。そして元気になって、ずっと傍にいてほしいんだ」
「それは……約束できない」
「どうして?」
 向井は問いかけに躊躇う素振りをみせた後、ようやく聞き取れるほどの声で続けた。
「……手術を受けても、助かるとは限らないから」
 言葉で人を殺すことが出来るんじゃないかと思うほど、向井の一言は胸を抉った。
「駄目だ、約束してくれ。元気になるって言ってほしいんだ」
 もう一度懇願すると、しばし間をあけて、向井が口を開いた。
「……正人、愛してる」
 ――どうして……。
 きっとこの世で一番、美しい言葉。その言葉を愛する人から送られているのに、少しも幸せじゃない。
「健吾さん、違う。そうじゃないんだ。今、言ってほしい言葉は……!」
「愛してる」
 向井が顔を上げ、唇を寄せる。触れ合うだけの優しい口づけに、熱い雫が頬を流れる。
「愛してる、正人……」
 彼はその後も有沢のほしい言葉をくれなかった。



 向井は「結果は約束できないけれど……」と言いながらも、手術を受けることを承諾してくれた。
「正人を愛してるから、手術は受けるよ」
 それが向井の本意ではないとわかってはいたが、彼を失いたくない有沢はあえてそのことを指摘しなかった。
 さっそく水原に連絡を取り、向井を連れて診察に向かった。
 水原の勤務先は、都心から電車を乗りついだ郊外にある中堅病院で、大学病院と比べて古めかしく規模も小さい。三階建ての建物を見上げて不安がよぎった。
 片平から水原の外科医としての腕は保障されているが、それは大学病院時代の話。設備も満足に整っていない病院で、以前と同じ水準の手術が行われているはずはなく、さすがの水原も腕が鈍っているのではないかと危惧してしまう。
 受付で用件を伝え、待合いの長イスに腰かけて待っていると、隣から視線を感じて顔を上げた。向井が「今日は先生の顔をしてる」と言って、懐かしそうに目を細めた。
「あの日以来だ。僕がカンファレンスルームで待ってたら、片平先生と一緒に正人が入ってきた。てっきり片平先生から話があると思ってたのに、話しはじめたのは正人だった」
『あの日』がいつだかは言われなくてもわかった。
 ――四ヵ月前の桜の日。
 彼に死を宣告した日だ。
「あの日、僕も緊張してたんだよ? でも、僕より正人の方が緊張してたから、その顔を見てたら肩の力が抜けたんだ」
「つまり、俺が緊張しまくってておかしかったってこと?」
「違うよ、正人が僕をなるべく傷つけないよう、一生懸命考えてくれている姿を見て、お医者さんも人間なんだなあって思ったんだ。ちゃんと一人の人間で、僕のことを考えてくれてるんだなって」
「当たり前だろ」
 間髪入れずに答えると、向井は少し照れくさそうに視線を伏せた。
「……僕がなんで君にあんなことを言ったかわかる?」
「あんなこと?」
「『恋がしたい』って、正人に言った理由」
 聞かれて改めて、なぜだろうと考えた。考えてみたけれど、深い意味はなかったように思う。
「俺が『何でも質問してくれ』って言ったからじゃないのか」
「はずれ」
 楽しそうに笑っている。そしてもったいぶったように間を置いて告げられた。
「……恋をするなら、正人としたいって思ったから。この先生なら、僕のために一生懸命、恋をしてくれるって思ったから、正人に言ったんだよ。誰でもよかったわけじゃない」
 最初で最後の恋。その相手に自分を選んでくれた理由をはじめて聞かされ、温かい感情が胸を満たした。
「そんなことを今言わないでくれ。今すぐキスしたくなる」
 ――好きだ。
 この人がどうしようもなく好きなのだ。
 有沢が口づけたい衝動を抑えていると、向井は身体を震わせて笑った。
「じゃあ、帰ったらいっぱいしよう。抱き締めて、キスしてほしい」
 目元に涙を滲ませながらフワリと綺麗な笑顔を向けられた。



          ――――続――――


2014年10月27日(Mon) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)

終わらない夢の中で・13


 どんなに言葉を尽くしても、きっとこの気持ちの半分も伝えられない。
 ――大切な恋人。
 有沢が彼に向かって手を差し伸べた時、看護師に名前を呼ばれた。触れる寸前の空に浮いた手を見て二人で苦笑し、同時に立ち上がり指定された診察室に足を踏み入れる。
「はじめまして。外科の水原彰人です」
 中にいた細身の医師は、座っていたイスから立ち上がると軽く会釈した。有沢も自己紹介をし、改めて水原の顔を見やると、予想よりも若くて驚いた。
 片平から聞いた話によると、水原は四十歳近いはずだ。だが、目の前のイスに白衣を着て座る、冷たい美貌を持つ男は、どう見ても三十代前半くらいにしかみえなかった。
「さっそくですが、そちらの病院での検査結果を拝見してよろしいですか」
「あ、はい。こちらになります」
 拝見します、と言って資料に目を通す作り物のように整った横顔を眺めながら、彼が下す診断が気がかりで落ち着かない。
 一通り目を通し終えると、水原は表情一つ変えずに抑揚のない口調で告げた。
「……はっきり申し上げて、非常に厳しい状態です。このままでは長くないでしょう」
「はい。あと二ヵ月ほどだと言われてます」
 患者本人を前にして事実をそのまま口にする水原に絶句していると、患者用の丸イスに腰かけた向井が毅然と答えた。動揺する素振りもなく、柔らかい微笑みを向けられて、水原がわずかに目を瞠る。
「それは、手術が受けられない状態にある、ということでしょうか」
 喉の奥からしぼりだすように、ようやく有沢が本題を尋ねると、水原は感情の読めないガラス玉のような瞳をこちらに向けた。
「私は『このままだと長くはない』と言ったんです。手術をすれば、余命を延ばすことが見込めます」
「それはつまり……」
「私でよければ手術をお引き受けします」
「あ、ありがとうございます!」
 有沢は深く頭を下げる。水原はクールな性格のようで、お礼を言われているのに、「患者を救うことが医者の仕事ですから」と淡々と述べた。
「術式と術後に起こりうる合併症などの説明をさせていただきたいのですが、まず……」
 水原は向井にこの手術のリスクについて、わかりやすく説明すると、それらが書かれた手術同意書を差し出した。
「私が今説明したことを理解し、リスクも承知した上で手術を受ける決意をされたら、こちらに署名をしてください」
「わかりました」
 向井はその場でペンを取る。
「……向井さん、時間をかけて考えてから決められてもいいんですよ」
 同意書にサインしようとする手を水原が止めた。
 それもそのはず、先ほどの説明では、成功する確率は三割あるかないか、ということだった。
「水原先生、いいんです。僕はここに来る前から、手術を受けるって決めていたので」
「……そうですか。失礼しました」
 ニコリと微笑みかけられて水原は手を引いた。サラサラと淀みなくサインを終えると、向井はそれを水原に差し出す。
「では、手術の日程について、有沢先生も含めてご相談しましょう」
 その後、三人で相談した結果、手術は一週間後に行われることが決まった。
 あいさつをすませて退室しようとした時、水原が向井に声をかけてきた。
「向井さん、一つ、お聞きしてもいいですか」
「なんでしょうか」
「どうして、こんな状況で笑っていられるのですか?」
 唐突で、不躾な質問だった。
 けれど向井は嫌な顔もせずに、凛と背筋を伸ばす。
「好きな人がいるんです。その人のおかげで、今僕はとても幸せなんです」
 その答えに、人形のようだった水原の表情がわずかに動き、人間らしい顔を覗かせる。彼にもまた、心を寄せる人物がいるのだろうか。口元をわずかに上げて微笑んだような気がした。
「では、当日よろしくお願いします」
 二人で共に頭を下げ病院を出ると、来た道を引き返して向井のアパートに向かう。
 アパートの最寄り駅から帰宅する途中、ふと思い出したように彼が口を開いた。
「正人、覚えてる? 待合室で僕が言ったこと」
 悪戯っぽい瞳で見上げられて、あの時の高揚が戻ってくる。
「ああ、忘れるわけないだろ。帰ったらいっぱいキスしよう」
 ――これで、全てが上手くいく。
 有沢は恋人に優しく微笑み返した。



       ――――続――――


2014年10月27日(Mon) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)

終わらない夢の中で・14


 ――一週間後。
 有沢の勤務する病院に水原の姿があった。
 市民病院には充分な設備が整っていなかったので、片平の口利きで水原を当院に招いて手術を行うことになったのだ。
 五日前から入院して体調を整えていた向井と病室で言葉を交わすと、水原は手術スタッフと打ち合わせをするため手術室に姿を消した。
 有沢はこの日、休みを取っていた。
 向井の希望で、医師ではなく恋人として傍にいてほしいと言われたからだ。
「手術が終わったら、どこに行きたい?」
 水原から説明されたリスクも頭の隅に追いやられ、この時、有沢は手術が失敗することなど考えてもいなかった。
 有沢が弾んだ声で尋ねると、向井が口を開きかけた。しかしその時、看護師が病室に入って来たため、話途中だったが手術室に移動する。廊下を行く間も、笑顔で向井に声をかけ続けた。
 ――数時間後、手術を終えて彼が戻ってきたら、二人の未来が始まる。
 有沢の胸は希望で満ちていた。
「正人」
 向井は手術室に入る直前、ふいに有沢の手を握った。一瞬だけ、彼が感情を揺らす。その顔はひどく不安そうなもので、有沢が励ましの言葉を探しているうちに、向井はいつもの優しく穏やかな眼差しで微笑みかけてきた。
「ありがとう」
 たった一言だけ告げると、向井は繋いでいた手を解き、手術室へ入って行った。
 扉が閉まり、彼の姿が見えなくなると、怒涛のごとく不安が押し寄せてくる。
 どうして、このタイミングで礼を言ったのだろうか。
 その理由を考えて、彼がもう二度と会えないこと覚悟しているのだと悟る。
 ――もしかしたら、これが最後になるかもしれない。
 この時、初めて『失敗』の文字が頭を掠めた。
 向井がこの世からいなくなる――それは有沢にとって、世界の終焉を意味していた。
 想像するだけで恐怖で足が震え、立っていられなくなる。覚束ない足取りで手術室前の長イスに腰かけると、ポケットから一枚の写真を取り出した。
 そこに写っていたのは、向井の寝顔。彼の写真はこれ一枚しか持っていない。
 向井は写真を撮られることをひどく嫌がっていたので、彼が入院してから夜中にこっそり病室を訪れて、寝ているところを隠し撮りしたのだ。
 彼は死ぬことを運命だと言って受け入れていた。
 付き合っている間も、ずっと頭にあったのだと思う。
 写真を嫌がったのも、きっと自分がいた痕跡を残したくなかったからだろう。自分の死後、残された有沢の悲しみが早く薄れるように、自分のことを忘れて早く立ち直れるようにと考えたに違いない。向井はそういう男なのだ。
 ――ひどい恋人だ。
 幸せだった時の思い出すら忘れさせようとするなんて……。
 有沢は写真の中の彼の頬をそっと撫でた。
 悲しみ、怒り、喜び……色んな感情が一度に溢れてきて、涙という形になって零れ落ちる。
 ――わかっている。
 それが彼の優しさだということを。
 そんな彼が愛しくてたまらない。
 かすかに濡れた頬を乱暴に拭うと、有沢は不安を追い払うかのように頭を振り、これから先の未来のことを考えはじめた。
 もう少し涼しくなったら、旅行に行こう。そういえば一度も泊まりがけで出かけたことはなかった。
 その後はクリスマスが待っている。恋人たちの一大イベントだ。プレゼントは何がいいだろう。
 冬が終わったら、短い春が訪れ、桜が咲いたら付き合いはじめて一年を迎える。二人でささやかなお祝いをしよう。
 ――きっと、喜んでくれる。
 まだ二人でやりたいことがたくさんある。
 未来のことを考えるのはとても楽しかった。



      ――――続――――


2014年10月27日(Mon) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)

終わらない夢の中で・15


 ――四度目の桜が咲いた。
 有沢の手の中には、少し色あせた一枚の写真。そこには気持ち良さそうに眠る恋人の姿が切り取られている。
 仕事で疲れた時、家に帰るとこうして写真を取り出して、慈しむように彼に触れる。優しい日々を思い返すと、疲れた身体に幸福感が訪れる。
「あれから、もう三年か……」
 ソファーにゆったりと身を沈め、独り言を呟いた。
「何を見てるんだ?」
 猫のように足音もなく背後から忍び寄られて、飛び上がるほど驚いた。
「ん? 写真?」
「あっ」
 隠す間もなく、素早い動きで大切な宝物を奪われる。
「この写真……」
 誰を撮ったものかわかった瞬間、彼の顔色がサッと変わった。形の良い眉が徐々に中央に寄っていくのを目にし、有沢は慌てて言い訳を探す。
「これは、その……」
「こんなの、いつ撮ったんだ!」
「ご、ごめんっ」
 写真の中よりも三年分、歳を重ねた向井が目を吊り上げて怒鳴る。有沢は反射的に謝っていた。
「なんで本人の了承を得ずに撮ったんだ」
「健吾さんが、写真嫌がってたから……」
「だからって寝てるところを勝手に撮っていいっていうのか?」
「だって、可愛かったから、つい……」
 出来心で、としどろもどろに続けると、向井は怒りを通り越して呆れた顔をする。
「正人がこんなに写真が好きだとは知らなかったよ」
 チラリと視線を送った先にあるのは、デジタルフォトフレーム。もちろんそこには向井が写っている。
 これだけでなく、この有沢のマンションのいたるところに向井を被写体とした写真が飾られていた。
「いったい何枚、僕の写真を撮れば気がすむんだ」
「何枚でも!」
 写真は何枚あっても足りない。向井は毎日違う顔をするのだ。
 三年前、向井はいつも笑っていた。それが今では、こうして怒ったり、呆れたり、拗ねたり、たまに大声で笑ったりと、表情がころころ変わる。新しい顔を見せる向井はとても新鮮で、カメラを向けずにはいられない。
 ――奇跡のような幸せを、形に残したかった。
 はじめはカメラを向けられて戸惑っていた向井だったが、一年、二年と日を追うごとに抵抗感が薄れてきたようだ。それは思い出を残さないように生きてきた彼が、病を克服した証でもある。
「まあ、これが正人の愛情表現だってわかってるから、悪い気はしないけど……」
 視線を逸らし、微かに頬を朱に染めた向井が色っぽくて、有沢はそうっとカメラを引き寄せる。気付かれぬうちに、とカメラを構えシャッターを押そうとしたが、またも向井に取り上げられてしまう。
「あっ、返してくれよ」
「ダメ」
「そんな意地悪しないでくれ」
 カメラを追って手を伸ばすと、向井が誘うような視線を向けてきた。
「意地悪をしているのは正人の方だろう。せっかく久しぶりに一緒に過ごせるのに、カメラ越しにしか見てくれないの?」
「健吾さん……」
 向井の綺麗な顔が近づき、唇を掠め取られる。
 嬉しい驚きに、今度は有沢から距離をつめ、相変わらず細い身体を腕の中にからめ取った。

※続きは以下反転です。
   ↓
 慎重に彼をソファーに横たえる。
「正人……」
 自らも上に乗り上げ、自分を呼ぶ声に応えるようにキスを落とした。先ほどとは違い、深い結びつきを求める激しい口づけ。
「んっ……」
 角度を変えて繰り返し唇を貪られ苦しくなったのか、向井に軽く身体を押された。
「しつこい」
 口では文句を言いながらも、彼の瞳も情欲に濡れている。
 それを見て、向井の着ている薄手のセーターの下に手を潜り込ませ、素肌の感触を確かめる。有沢よりもやや体温の低い肌は、ひんやりとしていて気持ちいい。
「あっ」
 指先が胸の尖りを掠めると、向井が小さく息をのむ。もっと声が聞きたくて、両方いっぺんに摘んで強弱をつけて刺激した。
「あ、あぁっ」
「気持ちいい?」
 ほんのり赤くなった耳朶に舌を這わせながら呟くと、向井は唇を噛み締めて声を殺そうと努力する。
「声、聞かせて」
 ゆるく左右に頭を振って拒否される。
 向井は誘ってくるくせに、いざ実践となると途端に恥ずかしそうに身を捩る。特に感じている声を聞かれるのが恥ずかしいらしく、いつも声を出すまいと唇を引き結んで抵抗していた。
 その姿がいっそう有沢の欲望を駆り立てていることに、彼は気付いていない。
「じゃあ、声を我慢出来なくなるまで触ってやるよ」
「や……っ」
 おもむろにズボンの上から中心を揉むと、向井が腰を捻って逃れようともがく。それを力ずくで押しとどめ、胸への刺激で反応をはじめていた中心を強く擦り立てた。
「だめ、やめて……」
「どうして? こんなに硬くなってるのに」
「言わないで……っ」
 向井の言葉を無視して服の上から刺激を繰り返す。
「正人、正人っ。お願いだから、もうやめて……っ」
 有沢の手首を掴んでそこから引き剥がそうと必死になっている。
「もう、駄目だからっ」
「駄目って、なにが?」
 わかった上であえて意地悪く尋ねると、向井が涙目で睨んできた。その眼差しが、男をより煽るということがなぜわからないのだろうと不思議になる。
 向井の腰がいっそう震え出した。
「正人っ」
 確かにこれ以上やると服を汚してしまう。有沢はようやく中心から手を離した。
 彼がホッと息をついた瞬間を見計って手早く下着とズボンを剥ぎ取ってしまう。
「やっ……」
 慌てて隠そうと伸ばされた手の動きを片手でいなすと、有沢は天を仰いで蜜を垂らす中心に口づけた。焦らすようにゆっくりと幹に舌を這わせる。
「いやぁっ……、あぁっ」
 細い悲鳴のような嬌声が上がる。
 向井は有沢以外に経験がないようで、人に触られることに慣れていない。それは何度身体を重ねても変わらず、触れるたびに敏感な反応を返してくる。
「正人、駄目だって……っ、離してっ」
 濃い蜜が先端から溢れて、限界を訴えている。
 有沢は幹から伝った蜜で濡れそぼる蕾に、指を忍び込ませた。


        ――――続――――


2014年10月27日(Mon) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)

終わらない夢の中で・最終回

※本文は以下反転です。
 ↓
「あぁっ……!」
 突然の後ろへの刺激で向井は腰を震わせて達した。熱い迸りを口で受け止め、最後の一滴まで吸い出すと、内腿がガクガクと小刻みに痙攣する。
「あ、あっ……」
 有沢は躊躇せず口の中の蜜を飲み下すと、絶頂を迎え放心している向井の長い足を思い切り左右に開かせた。意識がはっきりしていれば、こんなあられもない格好をさせてくれない。
 熱に浮かされて頭が働かない隙をついて、後ろに差し込んだままの指を動かした。きつく閉ざされた蕾を傷つけないように、慎重に指を使う。
「あ、あ、……んっ」
「ここが好き?」
「ん、っ……」
 前立腺を指でいじってやると、達したばかりの中心がまたも頭をもたげはじめる。向井も素直に頷いた。
 指を三本使い充分に解れたとこで、有沢は自らの猛った中心を取り出し、もの欲しそうに収縮する蕾にあてがう。一番太い部分が飲み込まれると、後はすんなり根元まで入っていく。
「はっ……っ」
 腰を動かすと、逃すまいとするかのようにギュッと締め付けられて、その快感に有沢も夢中になっていく。
「正人、もう……、あぁっ」
「きつ……」
 向井の中心が爆ぜ、セーターの上に白濁を撒き散らす。達したと同時に後ろがきつく絞まり、有沢も出口を求めて彷徨っていた欲望を解き放った。
「や……!」
「……っ!」
 最奥に全てを注ぎ込むと、その衝撃で向井が全身を震わせた。
「健吾さん……」
 荒い息が整うまで待てず、情交の名ごりを残す艶やかな唇に口づけを落とす。熱く甘い口内を思う存分堪能し、ようやく身体を起こした。

「大丈夫?」
「うん……」
 まだ焦点の定まらない虚ろな瞳を覗き込む。
 飛沫の染み込んだセーターを脱がせようとたくし上げ、有沢は息をのんだ。
 そこに現れたのは、白い肌の上に走る大きな手術痕。何度も目にしているはずなのに、見るたびに胸が痛くなる。
「……どうかした?」
 一点を見つめたまま動かない有沢に、向井が不思議そうに首を傾げた。そして何を凝視しているのか悟り、悲しそうに笑う。
「そんなにひどいかな」
 有沢が傷跡の生々しさに眉を顰めていると思ったようだ。
「ごめん、そういうんじゃなくて…。怖いんだ」
「怖い?」
 ――まだ、怖い。
 こうして肌を重ねても、どれほど強く抱き締めても、彼が自分の元を去ってしまうのではないかと恐怖する。
 一抹の不安にかられ、薄い胸に手の平をあてた。大きな手術痕の下、しっかりと拍動する心臓を感じて、彼が生きてここにいることを確認し、ようやく安堵する。
 向井は手術後、強くなった。前から強い心を持っていたが、生きることを怖がらなくなり、積極的に行動するようになっている。
 それに比べて、有沢は臆病になった。
 もうあんな想いは二度としたくない。
 ――あの日、水原の執刀で行われた向井の心臓手術は無事に成功し、ほとんど完治に至っている。
 麻酔から覚めるまでの間、ずっと向井に付き添い、力のない手を握り締めて祈っていた自分の姿を思い出す。成功したと聞いても、彼が目を覚ますまでは信じることが出来なかった。
 そしてようやく彼が目を開け、自分を見つめて微笑みを浮かべてくれた時は、安堵と喜びで人目もはばからずに泣いてしまった。
 術後の状態を確認するために残っていた水原にも目撃されてしまったが、「そんなに大切に想われている向井さんが羨ましい」と彼らしからぬ言葉を残して、彼は大学病院を去って行った。
 片平も何度も顔を出してくれ、退院が決まると二人で礼を言いに行った。片平は口ではそっけないことを言っていたが、鼻の頭を真っ赤にして目元を潤ませていた。
 いろんな人に支えられて、今の幸せがある。
 でもあまりに奇跡のような幸福で、たまにこれは都合のいい夢なんじゃないかと疑ってしまうのだ。
「正人、大丈夫だよ」
 有沢の不安が伝わったのか、向井は諭すような口調で言うと、胸に置いた手を握った。
「約束する。たとえ明日、世界が終わるとしても、僕は正人の傍にいる。これから先もずっと、最期の一瞬まで正人を愛し続ける」
 それは三年前にどんなに懇願しても口にしてくれなかった約束。
 ようやく欲しかった言葉をくれた。
 幸せで、胸が押しつぶされそうになる。
「俺も……。もし明日、世界が終わるとしたら、あなたの隣にいたい。こうして手を繋いで、世界の終わりを二人で迎えたい」
 決して解けないようにと祈りをこめて、固く手を握り締める。
 彼は幸せそうに目を細め、あの日のようにフワリと微笑んだ。
「また一つ、夢が叶った」
 これからも数え切れないほどの夢が生まれるだろう。それを二人で叶えていくことが、たった一つの願い。
 窓の外では薄紅色の桜の花びらが、ひらりひらりと舞っていた。   




           ――――終――――


2014年10月27日(Mon) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)

終わらない夢の中で~あとがき~

『終わらない夢の中で』をお読み頂きありがとうございます。

今回もあとがきとして裏話的なものを書きましたので、興味がある方は以下をお読みください。




このお話は以前ブログに載せた『告げる言葉もなく』の後に出来たお話です。
ようは水原先生をチョコッと出したい!という思いから生まれた作品(笑)
スピンオフを読むのも書くのも大好きなんです(^ ^ ;)
読んでる小説の中に、同作者さんの違う小説の登場人物が出てくるとすごく楽しくなる性質です。
そんなわけで、自分の作品でもそれをやりたくなり、今回作中にチョコッと水原先生を出しました。

『終わらない夢の中で』は、『告げる言葉もなく』の数年後という設定です。
たぶん三年後くらい?
その間に水原先生にも色々あって、大学病院を辞めて他の病院に行きました。
でも石黒先生とは何だかんだで続いていると思います。

このあとがきを書いていたら水原先生が今の病院へ行くまでの三年間に何があったのか書きたくなってきました(> <)
ですが、たぶんこの話はBL色がかなり薄めになりそう……。


なんだか今作の裏話という感じではなくなってしまいましたね(; ;)
あ、一つありました!
友人がブログにアップしてある二つの小説を読んで感想をくれたのですが、それが「循環器内科医多すぎ!」というものでした(笑)
……はい、その通りだと思います(^ ^ ;)
水原先生を出そうと思ったら世界観が似通ってしまったという……(焦)


それにしても私の書く話はかなり白衣率が高めなので、次はノー白衣のものをアップしたいと思います!
以前にも触れましたが、友人の書いた小説のスピンオフを書かせていただきました。
それが確かノー白衣だったはず!
よろしかったら見てくださると嬉しいです(^ ^)


2014年10月27日(Mon) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)