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終わらない夢の中で・1

 半分ほど開けた窓の隙間から、薄紅色の花弁がヒラヒラと空を泳いで手元に落ちる。
 窓の外に目を向けると、今が盛りと咲き誇る桜の大木が見えた。
 ――桜を見ると蘇る思い出。
 あれからもう三年の月日が流れているが、こうして瞳を閉じれば一つも色あせることなく、瞼の裏に鮮明に映し出される。それはこの先も変わらないだろう。
『先生は、もし明日、世界が終わってしまうとしたら何をしたいですか』
 あの日、投げかけられた幼稚ともいえる質問。しかし、この問いの裏にある事実に気付いた時、その重さゆえに答えが出せなかった。当時の未熟だった自分の姿までも思い出し、苦笑してしまう。
 有沢はゆっくりと瞳を開けると、読みかけの医学誌に落ちた桜の花びらにそっと触れた。その瑞々しい感触が心地良く、花びらを残したまま雑誌を閉じる。
 ――自分にそう問うた彼は、笑っていた。
 今しがた余命宣告を受けたばかりだというのに、子供じみた夢を語ると、とても綺麗に微笑んだのだ。



 ――三年前。
「有沢、ちょっと」
 午前中の外来診療を終えて医局に戻る途中で、指導医の片平に手招きされた。
「はい、なんでしょう?」
「これから患者さんに告知をしに行くんだが、お前、やってみるか」
「俺が告知するんですか?」
 有沢は驚きに目を見開く。
「ああ。俺が告知してるところは何度か見てるだろ。医者をやってれば避けては通れない道だ。俺も一緒に行ってやるから、今回はお前が話してみろ」
「……わかりました」
 診療を終えてホッとしていた気分は一気に暗転する。先輩から言い渡された仕事は、有沢が最も苦手とする類のものだった。
「はあ……」
 思わず零れたため息を聞きとがめて、片平が眉根を寄せる。険しい視線を送られ、慌てて丸くなっていた背筋を伸ばした。
 これから自分のしなければならない重責を考えると、それだけで胃が痛くなる。無意識に腹に手を当てる有沢を見て、片平が呆れた顔をした。
「有沢、お前もうインターン終えて二年目だろ。告知のたびにそれでどうするんだ」
「すみません……」
 先輩に叱咤されて、良く言えば優しい、悪く言えば気が弱い有沢は謝るしかなかった。
 有沢正人は、今年二十八歳になる循環器内科医だ。大学付属の病院で勤務している。
 癖のない黒髪は仕事柄襟足にかからないようにカットし、薄い唇と優しげな二重の瞳は、見る者にさわやかな印象を与える。
 仕事に容姿、そして親は地方で開業医をしているので家柄も良い。第一印象で女性から好感を持たれることは多いのだが、何度かデートをすると、決まって振られてしまう。彼女たち曰く、優しすぎてつまらないのだそうだ。
 五つ年上の片平は、振られ続ける有沢を見て、「お前は押しが弱すぎるんだ」と説教をしてくるが、かく言う彼も恋人が出来ても長続きしていない。
 片平はがっしりとした体格で顔立ちも悪くないのだが、その大雑把な性格が災いして女性からは敬遠されがちなようだった。
「で、本題だが、ちゃんと告知の仕方、考えてるんだろうな」
「はい。向井さんのことは片平先生と一緒に俺も診察させていただいてるので、病状も頭に入ってます」
「言われなくてもわかってるとは思うが、慎重にな」
 何事においても豪傑で些細なことは気にしない片平でさえも、告知には細心の注意を払っている。特にこれからムンテラ(病状説明)を行う患者はまだ若く、告知にはより慎重を期さなくてはならない。
 告知の内容を頭の中で整理しているうちにカンファレンスルームに到着した。緊張しながらノックをして室内に入る。中にはすでに患者の向井と、担当の看護師の姿があった。
「お待たせしました」
「よろしくお願いします」
 主に患者や家族へのムンテラを行う八畳ほどの部屋は、全く飾り気がない。真ん中に長方形の机と、向かい合わせに二つずつパイプイスが並べられているだけだった。
 近年では電子カルテが主流なため、机の上にはカルテの代わりに一台のノートパソコンが置かれ、レントゲンや他の検査結果もこれで見られるようになっている。
 有沢は向井と対面する席に腰を降ろし、片平もその隣に座った。机から一歩下がった位置に、看護師がメモ帳片手に立っている。
「今日は片平先生に代わって、私が説明をさせていただきます」
 有沢はパソコンの画面に向井のカルテを呼び出しながら口火を切った。数回の操作で現れたカルテに目を通してから、覚悟を決めて顔を上げる。
「向井さんは……」
 呼びかけたところで、ふと口を閉ざす。
 そういえば、こうやって向井と視線を合わせて話をするのは初めてだった。いつも片平の後ろに控えていたので、この時ようやく彼――向井健吾が、本当に若い男なのだと実感した。


          ――――続――――


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2014年10月26日(Sun) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)

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