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終わらない夢の中で・2

 カルテに表示されている年齢は『三十二歳』。知っていたことなのに、こうして顔をつき合わせると、自分と同年齢くらいにしか見えない。どうしてだろうと考えて、向井の髪型が原因だと思い至った。
 向井は元々色素が薄いのか、茶色い髪を肩につくほど伸ばし、前髪を額の中央で分けている。瞳は髪よりワントーン暗いこげ茶で、人形のように睫毛が長い。『美人』という形容詞がぴったりの男だった。
 ただ一つだけ残念なのは、小さめの唇は病気のためか血色が悪く、肌も白を通りこして青白かった。
 思わず彼の美しさに見入っていると、横から片平に脇腹を小突かれる。ようやく我に返った有沢は、ごまかすように咳払いを一つすると、気を取り直して再び口を開いた。
「ええと、向井さんには現在、投薬を中心とした治療を行っています。通院で様子をみていたのですが、自覚症状が出現してきたので、入院して経過をみさせていただきました。いくつか検査をしたのですが、その結果、心不全が悪化していることが判明しました」
 向井は先天的に心臓に疾患があった。そのため過去に三度手術を行ったが、二年前に慢性心不全と診断され、外来通院で投薬治療を行っていた。 
「入院中も色々と薬を調整してみましたが、現時点であまり効果が得られていません」
「はい」
 向井は表情を変えずに頷く。眉一つ動かさない向井は、まるで綺麗な人形のようだった。
 有沢は自分とそう歳の変わらない患者を前に、これから言うべき言葉の重さを思って心を痛める。
「……残念なのですが、内科的治療では、これ以上の回復は望めないでしょう」
 なるべくショックを与えないように、言葉を選んでそう告げた。やや遠まわしな告知だったが、向井は言葉の意味を正確に読み取ってくれたようだ。
 静かな声音で率直な質問をされた。
「余命はどのくらいですか」
「……はっきりとは、わかりません」
 有沢は彼のためを思い、無難な回答を口にするしかなかった。
 おそらく今の状態だと、彼の命はあと半年。けれど、まだ若い男に短い余命を正直に伝えるのは気が引け、曖昧に言葉を濁した。
「知りたいんです。先生、教えてください」
「ですから、はっきりと『いつ』とはわからないんですよ」
「お願いします」
「向井さん……」
 容姿に似合わぬ強さで食い下がられ、助けを求めるように片平に視線を送る。片平は「教えてやれ」というように、小さく顎をしゃくった。先輩の承諾を得て、有沢は重い口を開く。
「正確なことはわかりません。ですが、おそらく……半年」
 事実を口にしながら、有沢は向井の様子を窺った。取り乱すかと危惧していたのだが、予想に反して彼は冷静だった。
「わかりました。我がままを言ってすみませんでした」
 こちらが驚くほど淡々とした口調。
 悲しみも憤りも、驚きさえも表に出さず、ただ事実を受け入れているように見えた。
 その潔い姿に感服すると同時に、違和感を覚える。
 しかし経験の浅い有沢は、その理由を追求することは出来なかった。
「では、これでムンテラは終わりますが、何か聞きたいことがありましたら、いつでも声をかけてください」
 有沢の締めの言葉で一同はいっせいに立ち上がり、ドアに向かう。
 余命宣告という重責を果たし、安堵しながら皆の後に続いて部屋を出ようとする。すると前を歩いていた向井がふいに足を止めて振り返り、危うくぶつかりそうになった。
 なんとか衝突を回避した有沢は、かなりの至近距離に彼の体温を感じて一歩後ろへ下がる。
「あの、どうかしましたか?」
「質問してもいいですか」
「え、ええ。どうぞ」
 聞きたいことがあるのなら、片平もいるところでしてほしかった。しかし頼りの指導医は、看護師と雑談をしながらすでに廊下の角を曲がって視界から消えている。
 どうか一人でも答えられる内容でありますように、と心中で祈りながら、目の前に立つ頭一つ分身長の低い男の言葉を待った。
「先生は……」
 言葉と共に向井が俯けていた顔を上げ、視線が交わった。向井は、近くで見ても美しい顔立ちをしている。関係のないことで感心した。
「先生は、もし明日、世界が終わってしまうとしたら、何をしたいですか?」
「え……?」
 投げかけられた予期せぬ質問に戸惑う。
 目を白黒させる有沢を見て、向井は初めて表情を動かした。体温を感じさせない人形のような男は、この場に不釣合いなほどの、美しい笑顔を見せている。
「先生、僕は恋がしたいです。一度でいいから、恋がしたい」
 綺麗な向井の笑顔はやっぱり綺麗で、けれどその美しさが、さらに有沢をやりきれない気持ちにさせる。
 恋愛は特別なものではないと思っていた。有沢自身も周りの友人たちも、ごく自然に恋をしていた。
 しかし、生まれたときから重い病を抱え、明日をも知れぬ日々を送ってきた向井は、生きるだけで精一杯だったのかもしれない。
 恋をすることさえ、出来なかったのだろう。
 ――彼の命の期限は半年。
 あまりにも短い。
 向井の心中を慮って胸を痛めていると、ふとある妙案が閃いた。


       ――――続――――


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2014年10月26日(Sun) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)

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