FC2ブログ
2019 11123456789101112131415161718192021222324252627282930312020 01










終わらない夢の中で・8

「病院には、行きたくない」
「でも……」
「少し休めば治まるから」
 いくら有沢が言っても、向井は頑としてきかない。仕方なく有沢が折れた。
「少し休んで、それでも良くならなかったら病院に連れていくからな」
 有沢はベッドの端に腰を降ろし、もう一度、脈拍を確かめる。
 はじめは早かった脈も、時間が経つにつれ落ち着いていき、十五分ほどで発作は治まった。心底安堵する。
「ほら、言った通りだろう」
 まだ青い顔をしながら、彼は冗談めかして勝ち誇ったように言った。
 けれど有沢は、軽口を笑って流せない。固い表情で、ベッドから起き上がれない彼を
見下ろす。
 ――二人で色んな場所に行った。
 彼は目を輝かせて自分を見つめ返してくれる。その顔が見たくて、向井の願いを叶え続けてきた。とても平穏で、幸せな日々。
 ――だから、この日まで忘れていた。
 片平に、退院した後も向井に会っていると告げた時、繰り返し言われた言葉の意味。あれだけ言われたのに、ちゃんと考えようともしなかった。
 ――彼は患者だ。
 あと数ヶ月しか生きられない。
 彼と過ごす毎日が想像以上に楽しくて、辛い現実を忘れていた。
 向井は一度も身体の不調を訴えたことはなかったが、もしかしたら体調不良を隠して無理をして笑っていたのかもしれない。
 ――なんて愚かなんだ。
 有沢は自分を責めずにはいられなかった。
 彼を残し、黙って寝室を出る。リビングには、渡しそびれた可愛らしいイルカのぬいぐるみがあった。
 帰ってくるまでは、確かに幸せだった。
 ぬいぐるみを渡した時の顔を想像し、楽しくて仕方なかった。
 ――魔法使いにでもなった気でいた。
 何をしても彼が驚き喜んで笑ってくれるから、勘違いをしていたのだ。
 どんなに楽しませても、喜ばせても、現実は変わらない。
 向井の命は残り少ないままで、有沢は魔法など使えない、ただの無力な医者だった。
 有沢は自分自身に腹が立ち、苛立ちまぎれにぬいぐるみを乱暴に掴み上げる。
「こんなもの……!」
 そのまま手を振り上げ、床に叩きつけようとした。
「正人?」
 その姿を寝室から出てきた向井に見つかってしまった。気まずく視線を逸らすと、彼は手に握られたぬいぐるみの存在に気付いたようだ。
「それは?」
「…………」
「それ、イルカのぬいぐるみだろう?」
 向井は有沢の手からぬいぐるみを取り上げると、嬉しそうに微笑んだ。
「買ってくれたんだ」
 満面の笑み。この顔が見たかったはずなのに、今は直視出来ずに視線を逸らす。
 複雑な表情を浮かべて押し黙る有沢に、彼が笑顔のまま近づいてきた。
「本当に、嬉しいよ」
 言葉と共に、少し背伸びをした向井の唇が触れる。
 初めてのキスだった。
 一瞬で柔らかい唇の感触は離れ、彼は照れたように頬を染める。
「ファーストキスだ」
 ぬいぐるみを腕に抱き、くすぐったそうに肩をすくめる。恥らう姿に喜びと愛しさが込み上げたが、それ以上に切なさでいっぱいになり、気が狂いそうだった。
 ――唐突に、理解した。
 彼は、運命を受け入れているのだ。
 幼い頃からの闘病生活の中で、そう長くは生きられないと悟っていたのかもしれない。
 だから余命を宣告をされた時も、微塵も取り乱さなかったのだ。
 ――強い人だと思っていた。
 どんな時も真っ直ぐ前を向いている姿に惹かれた。
 けれど今はその強さが恨めしい。
 運命を受け入れて、闘うことを放棄しないでほしい。どんなに無様でもいいから生きるためにあがいてほしかった。
 ――失いたくない。
 医師の立場から言えば向井のような生き方もあると理解出来る。
 しかし一人の男としては、恋人に生きていてほしかった。
 有沢は彼の腕を乱暴に引いて抱き締めた。
その厚みのない身体に不安が募る。
「……また一つ、夢が叶った」
 ポツリと向井が呟く。
 現実の残酷さを目の当たりにし、有沢はもう、一緒に笑ってやることが出来なくなっていた。



           ―――――続――――


関連記事
スポンサーサイト



2014年10月26日(Sun) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する