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終わらない夢の中で・10

 片平に怒鳴られたのはこれが初めてだった。気の長い指導医をそこまで怒らせたのだとようやく悟り、有沢は気まずく顔を俯ける。
「……お前はまだ向井さんの治療法を探しているのか」
「はい」
 向井のことで相談を持ちかけたのは片平だけだった。有沢の答えがわかっていたのか、片平は間を置かずに続ける。
「なら、もう治療法はないとわかっただろう」
「…………」
「有沢、どうなんだ」
 おそらく片平の言っていることは正しい。しかし容易に頷くことは出来なかった。
 現時点で向井を救おうとしているのは自分だけ。自分が探すことをやめたら誰も彼を救えない。救おうとすらしないだろう。
 医者が匙を投げてしまうほど、彼の病状は重い。
 ――それでも。
 有沢はゆっくりと顔を上げると、強い眼差しで指導医を見据えた。
「俺は医者です。だからこそ、彼の病状がとても深刻で手の打ちようがないということもわかってます」
 有沢はそこでひとつ息をつくと、でも……、と続けた。
「でも、奇跡を信じたらいけませんか? 助かるって、希望を持つことは悪いことでしょうか。もし悪いことだと……、医者にとって余計な感傷だと言われるのなら……。俺は医者を辞めます」
 有沢は本気だった。本気で辞めてもいいと思った。誰かを救いたいと強く思うことさえ許されないのなら、この仕事をしている意味はない。
 身動ぎもせずに見つめていると、片平がフッと息をついた。
「有沢、今日はもう帰れ。帰って充分な睡眠をとるんだ」
「嫌です」
 即答すると片平は頭を横に振った。
「お前が倒れたら向井さんが悲しむだろう。今日くらい、ゆっくり休め」
「俺に休んでる時間はないんです。あの人には、もう時間が……」
 有沢が言い募ると、片平が遮るように声を上げた。
「だから、お前が休んでる間は俺が調べてやるって言ってるんだ。今日は俺にまかせて、お前は帰って寝ろ」
「……手伝って、くださるんですか?」
 片平の言葉が、にわかには信じられなかった。
 思わず聞き返すと、片平は照れ隠しのように頭を乱暴に掻いた。
「本当なら、『諦めろ』って言うべきだろうな。でも誰にだって、どうしても救いたいって思う患者がいるんだ。……俺にもいたよ。だからお前の気持ちはよくわかる。俺の場合はどんなに手を尽くしても駄目だったから、お前にも俺と同じような辛い体験をさせたくなかったんだ。これでも指導医として、お前には目をかけてやってるんだぞ」
「片平先生……」
「とにかく、今のお前に必要なのは休養だ。わかったら早く帰れ。そして明日からまた頑張ればいい」
 言いたいことはそれだけだ、と片平は立ち上がり、すれ違いざまに有沢の肩を激励するように力強く叩いた。いつも自分の前にある見慣れた後ろ姿が、とても大きく頼もしいものに感じる。
「ありがとうございます……っ」
 有沢は言葉にしきれない感謝を込めて、片平が見えなくなるまで深く頭を下げ続けた。

 協力者が現れた安心感もあり、久しぶりに熟睡した有沢は、翌日から片平と二人で治療法を探し始めた。
 一人で考えているよりも二人の方が意見交換も出来るし効率も良い。なによりも味方が出来たことが心強かった。
 そうして半月が過ぎた頃、有沢は出勤するなり片平に呼ばれた。
「これ、見てみろ」
 興奮ぎみに差し出されたのは、雑誌に掲載された論文のコピーだ。日付は数年前のものだったが、英語で書かれた論文を読み進めるうちに手が震え出した。
「これ、本当に載ってたんですか?」
 論文の内容は、向井と同じ心臓病患者の手術方法についてで、おそらく論文を書いた医師が発案したものだろう。
 とても難しい術式だったが、これが実現できれば向井を救えるかもしれない。
「マイナーな雑誌に掲載されたものだったから、中々見つからなかったんだ」
「この論文を書いた『アキト・ミズハラ』って、日本人ですか?」
 内科と外科の違いはあれど、同じ心臓を扱う医師。けれど、これほどのオペを行える外科医なのに、聞いたことのない名前だった。
「ああ、日本の病院で働いている医師だ。俺も水原先生の名前は昔どこかの学会で少し耳にしたくらいだが、オペの腕は一流だと評判だった。どうも大学病院で教授とやりあったらしい。それで出世の道を絶たれて、今は市民病院で働いてるそうだ。日付からみて、この論文は大学病院を辞めた後に発表したもののようだから、そのせいもあってあまり注目されなかったんだろう」
 たまに教授とそりが合わずに病院を去る医師もいる。水原もその一人だったということだろう。
「腕は確かなんですよね」
 たとえ水原が人間的にどんな人物であろうと、今一番重要なのは彼の技量だ。
「ああ、そのはずだ。実はすでに昨日、水原先生と電話で話して向井さんのことは伝えてある。一度診察して、可能なら手術をしてくれるそうだ」
「本当ですかっ」
「嘘なんかつく必要ないだろ」
 片平がニッと笑った。
「……じゃあ、助かるんですね」
 彼に残された時間はあと二ヵ月あまり。諦めずに探し続けてよかった。
 先の見えなかった暗闇に一筋の光が差し、有沢は歓喜に震えた。
 嬉しくて嬉しくて、込み上げる喜びを抑えきれずに、目の前の片平に抱きつく。
「お、おい」
 片平はいきなり抱きつかれて、うろたえた声を上げる。
「ありがとうございます! 俺だけじゃあ、彼を救えなかった。片平先生が指導医で本当によかったです」
 彼より腕の良い医者はたくさんいる。循環器内科に入局したとき、同期には片平より優秀な指導医がついた。その時は羨ましく思ったものだが、今は彼の下で働き、教えを受けることが出来てよかったと心から思う。
 片平は平凡な内科医だ。しかし彼には誰にも劣らぬ才能がある。
 それは、『患者のために努力し続ける』ということ。
 意外と照れ屋なので大袈裟に口に出して言わないが、陰で努力していることを知っている。根は熱い男なのだ。この人のような医者になりたいと改めて思った。
「先生、本当にありがとうございます……!」
 感謝と敬愛を込めてハグしていると、たまたま通りかかった看護師に異様な眼差しを向けられた。有沢はその後、冷たい視線に気付いた片平に思い切り頭を叩かれたが、不思議と痛みは感じなかった。



         ――――続――――


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2014年10月26日(Sun) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)

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