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終わらない夢の中で・13


 どんなに言葉を尽くしても、きっとこの気持ちの半分も伝えられない。
 ――大切な恋人。
 有沢が彼に向かって手を差し伸べた時、看護師に名前を呼ばれた。触れる寸前の空に浮いた手を見て二人で苦笑し、同時に立ち上がり指定された診察室に足を踏み入れる。
「はじめまして。外科の水原彰人です」
 中にいた細身の医師は、座っていたイスから立ち上がると軽く会釈した。有沢も自己紹介をし、改めて水原の顔を見やると、予想よりも若くて驚いた。
 片平から聞いた話によると、水原は四十歳近いはずだ。だが、目の前のイスに白衣を着て座る、冷たい美貌を持つ男は、どう見ても三十代前半くらいにしかみえなかった。
「さっそくですが、そちらの病院での検査結果を拝見してよろしいですか」
「あ、はい。こちらになります」
 拝見します、と言って資料に目を通す作り物のように整った横顔を眺めながら、彼が下す診断が気がかりで落ち着かない。
 一通り目を通し終えると、水原は表情一つ変えずに抑揚のない口調で告げた。
「……はっきり申し上げて、非常に厳しい状態です。このままでは長くないでしょう」
「はい。あと二ヵ月ほどだと言われてます」
 患者本人を前にして事実をそのまま口にする水原に絶句していると、患者用の丸イスに腰かけた向井が毅然と答えた。動揺する素振りもなく、柔らかい微笑みを向けられて、水原がわずかに目を瞠る。
「それは、手術が受けられない状態にある、ということでしょうか」
 喉の奥からしぼりだすように、ようやく有沢が本題を尋ねると、水原は感情の読めないガラス玉のような瞳をこちらに向けた。
「私は『このままだと長くはない』と言ったんです。手術をすれば、余命を延ばすことが見込めます」
「それはつまり……」
「私でよければ手術をお引き受けします」
「あ、ありがとうございます!」
 有沢は深く頭を下げる。水原はクールな性格のようで、お礼を言われているのに、「患者を救うことが医者の仕事ですから」と淡々と述べた。
「術式と術後に起こりうる合併症などの説明をさせていただきたいのですが、まず……」
 水原は向井にこの手術のリスクについて、わかりやすく説明すると、それらが書かれた手術同意書を差し出した。
「私が今説明したことを理解し、リスクも承知した上で手術を受ける決意をされたら、こちらに署名をしてください」
「わかりました」
 向井はその場でペンを取る。
「……向井さん、時間をかけて考えてから決められてもいいんですよ」
 同意書にサインしようとする手を水原が止めた。
 それもそのはず、先ほどの説明では、成功する確率は三割あるかないか、ということだった。
「水原先生、いいんです。僕はここに来る前から、手術を受けるって決めていたので」
「……そうですか。失礼しました」
 ニコリと微笑みかけられて水原は手を引いた。サラサラと淀みなくサインを終えると、向井はそれを水原に差し出す。
「では、手術の日程について、有沢先生も含めてご相談しましょう」
 その後、三人で相談した結果、手術は一週間後に行われることが決まった。
 あいさつをすませて退室しようとした時、水原が向井に声をかけてきた。
「向井さん、一つ、お聞きしてもいいですか」
「なんでしょうか」
「どうして、こんな状況で笑っていられるのですか?」
 唐突で、不躾な質問だった。
 けれど向井は嫌な顔もせずに、凛と背筋を伸ばす。
「好きな人がいるんです。その人のおかげで、今僕はとても幸せなんです」
 その答えに、人形のようだった水原の表情がわずかに動き、人間らしい顔を覗かせる。彼にもまた、心を寄せる人物がいるのだろうか。口元をわずかに上げて微笑んだような気がした。
「では、当日よろしくお願いします」
 二人で共に頭を下げ病院を出ると、来た道を引き返して向井のアパートに向かう。
 アパートの最寄り駅から帰宅する途中、ふと思い出したように彼が口を開いた。
「正人、覚えてる? 待合室で僕が言ったこと」
 悪戯っぽい瞳で見上げられて、あの時の高揚が戻ってくる。
「ああ、忘れるわけないだろ。帰ったらいっぱいキスしよう」
 ――これで、全てが上手くいく。
 有沢は恋人に優しく微笑み返した。



       ――――続――――


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2014年10月27日(Mon) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)

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