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終わらない夢の中で・14


 ――一週間後。
 有沢の勤務する病院に水原の姿があった。
 市民病院には充分な設備が整っていなかったので、片平の口利きで水原を当院に招いて手術を行うことになったのだ。
 五日前から入院して体調を整えていた向井と病室で言葉を交わすと、水原は手術スタッフと打ち合わせをするため手術室に姿を消した。
 有沢はこの日、休みを取っていた。
 向井の希望で、医師ではなく恋人として傍にいてほしいと言われたからだ。
「手術が終わったら、どこに行きたい?」
 水原から説明されたリスクも頭の隅に追いやられ、この時、有沢は手術が失敗することなど考えてもいなかった。
 有沢が弾んだ声で尋ねると、向井が口を開きかけた。しかしその時、看護師が病室に入って来たため、話途中だったが手術室に移動する。廊下を行く間も、笑顔で向井に声をかけ続けた。
 ――数時間後、手術を終えて彼が戻ってきたら、二人の未来が始まる。
 有沢の胸は希望で満ちていた。
「正人」
 向井は手術室に入る直前、ふいに有沢の手を握った。一瞬だけ、彼が感情を揺らす。その顔はひどく不安そうなもので、有沢が励ましの言葉を探しているうちに、向井はいつもの優しく穏やかな眼差しで微笑みかけてきた。
「ありがとう」
 たった一言だけ告げると、向井は繋いでいた手を解き、手術室へ入って行った。
 扉が閉まり、彼の姿が見えなくなると、怒涛のごとく不安が押し寄せてくる。
 どうして、このタイミングで礼を言ったのだろうか。
 その理由を考えて、彼がもう二度と会えないこと覚悟しているのだと悟る。
 ――もしかしたら、これが最後になるかもしれない。
 この時、初めて『失敗』の文字が頭を掠めた。
 向井がこの世からいなくなる――それは有沢にとって、世界の終焉を意味していた。
 想像するだけで恐怖で足が震え、立っていられなくなる。覚束ない足取りで手術室前の長イスに腰かけると、ポケットから一枚の写真を取り出した。
 そこに写っていたのは、向井の寝顔。彼の写真はこれ一枚しか持っていない。
 向井は写真を撮られることをひどく嫌がっていたので、彼が入院してから夜中にこっそり病室を訪れて、寝ているところを隠し撮りしたのだ。
 彼は死ぬことを運命だと言って受け入れていた。
 付き合っている間も、ずっと頭にあったのだと思う。
 写真を嫌がったのも、きっと自分がいた痕跡を残したくなかったからだろう。自分の死後、残された有沢の悲しみが早く薄れるように、自分のことを忘れて早く立ち直れるようにと考えたに違いない。向井はそういう男なのだ。
 ――ひどい恋人だ。
 幸せだった時の思い出すら忘れさせようとするなんて……。
 有沢は写真の中の彼の頬をそっと撫でた。
 悲しみ、怒り、喜び……色んな感情が一度に溢れてきて、涙という形になって零れ落ちる。
 ――わかっている。
 それが彼の優しさだということを。
 そんな彼が愛しくてたまらない。
 かすかに濡れた頬を乱暴に拭うと、有沢は不安を追い払うかのように頭を振り、これから先の未来のことを考えはじめた。
 もう少し涼しくなったら、旅行に行こう。そういえば一度も泊まりがけで出かけたことはなかった。
 その後はクリスマスが待っている。恋人たちの一大イベントだ。プレゼントは何がいいだろう。
 冬が終わったら、短い春が訪れ、桜が咲いたら付き合いはじめて一年を迎える。二人でささやかなお祝いをしよう。
 ――きっと、喜んでくれる。
 まだ二人でやりたいことがたくさんある。
 未来のことを考えるのはとても楽しかった。



      ――――続――――


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2014年10月27日(Mon) | 終わらない夢の中で | TB(-) | CM(0)

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